山形県の記念硬貨一覧
地方自治法施行60周年記念貨幣(山形県) 1,000円銀貨幣
発行年 | 平成26年(2014年)4月4日~4月24日 |
図柄(表) | 最上川とさくらんぼ |
図柄(裏) | 雪月花 |
素材 | 銀 |
品位(千分中) | 純銀製 |
量目 | 31.1g |
直径 | 40.0㎜ |
日本自治法施行60周年を記念して発行された1,000円銀貨幣の表面には、47都道府県ごとに独自の図柄が表現されています。
山形県の記念硬貨の表面には、豊かな自然を象徴する一級河川の最上川と全国一の生産量を誇る、みずみずしいさくらんぼがデザインされました。
表面には力強いタッチで描かれた最上川と、さくらんぼが表現されています。
裏面には、日本の伝統的な美しさを感じさせる桜の花と三日月をモチーフとした、「雪月花」という全都道府県共通のデザインが描かれています。
この記念硬貨は日本の造幣局が独自に開発した技術を用いて作られており、偽造防止技術も施されました。
貨幣側面に微細な斜めギザが入っている点などは、最もわかりやすいポイントといえます。ほかにも貨幣裏面の中央部分には地方自治法施行60周年を記念した「60」の文字が見え、上に向けると47都道府県を示す「47」の文字が浮かび上がる潜像加工が施されています。
地方自治法施行60周年記念貨幣(山形県) 500円バイカラー・クラッド貨幣
発行年 | 平成26年(2014年)7月16日 |
図柄(表) | 縄文の女神 |
図柄(裏) | 古銭のイメージ |
素材 | 銅・白銅・ニッケル黄銅 |
品位(千分中) | 銅750%、亜鉛125%、ニッケル125% |
量目 | 7.1g |
直径 | 26.5㎜ |
500円記念硬貨の表面も1,000円記念硬貨と同様に、各都道府県ごとに独自の図柄をあしらったものです。
山形県の表面デザインには、国宝指定の縄文の女神が悠々と描かれています。縄文の女神は平成4年(1992年)に山形県舟形町の西ノ前遺跡で、日本の土偶史上最大として発見されました。
裏面には古銭のイメージが採用され、中央に四角い穴の模様が描かれています。これは全ての都道府県に共通しているデザインです。
中央に四角い穴が開いたデザインは、日本の古銭、特に「和同開珎」などの古代の銅銭に見られる特徴を反映しています。これらの銭は、中国の影響を受けて作られ、中央に穴が開いていることで、紐を通して束ねやすくなっていました。
また、この貨幣は日本で初めてのバイカラー・クラッド貨幣です。異なる種類の金属板をサンドイッチ状に挟み込む「クラッド」技術と、それとは異なる金属でできたリングの中にはめ合わせる「バイカラー」技術が組み合わされています。
【500円記念硬貨の表面 「縄文の女神」】
縄文の女神は平成4年(1992年)、山形県舟形町にある西ノ前遺跡から出土した、縄文時代中期に製作されたと見られる国宝指定の土偶です。
この土偶は、高さ45センチメートルと日本で発掘された土偶の中で最大級のものです。
その均整のとれた八頭身の美しい容貌から「縄文の女神」と呼ばれるようになりました。
縄文の女神は何のために作られた?
土偶は、縄文時代の人々が信仰や祈りの対象として作ったものと考えられてきました。病気治癒や豊作祈願、子孫繁栄などの願いが込められているとされています。
特に、縄文の女神は手足や顔の表現が非常に精緻で、8頭身の体を支える安定感のある太い脚、対照的に薄い上半身、そして後方に突き出した臀部が特徴の土偶です。
出土した西ノ前遺跡は当時の集落跡にあり、この土偶はその中心的な場所に埋められていたことから、特に重要な役割を持っていたと推測されます。
土偶のモデルについては諸説ありますが、一般的には女性を象徴するものとされてきました。
用途としては、農作物や狩猟採集での豊漁や子孫繁栄を目的とした“再生の祈り・豊穣祈願説”や人間や神、精霊を模して作られたという“信仰的な意図”、病気やケガの治癒を願い呪術的な目的で故意的に破壊した“故意破損説”などの説があります。
これらの説は、縄文人が土偶を作り、使用し、破壊した背景を理解するための仮説に過ぎません。なぜなら、具体的な目的や意図は推測であり、確定的な証拠はまだ見つかっていないからです。
したがって、土偶の役割は発見された文化的・歴史的背景によるため、一概に説明することは難しいと言えます。
縄文の女神は山形県の貴重な国宝
縄文の女神は、故意に壊された状態で発見され復元が不可能な土偶が多い中、完全な形で発見された珍しいケースです。
学術的にも造形的にも日本を代表する土偶として評価され、平成24年(2012年)9月6日をもって国宝に指定されました。優美な曲線、力強い造形が織りなす圧倒的な存在感は、まさに縄文時代において芸術の頂点と言っても過言ではありません。
縄文の女神が山形県の記念硬貨のデザインとして選ばれたのには、国宝に指定されるほどの学術的価値を持ち、国内外での展示歴もあることから、その価値を称える意味合いも込められているのではないでしょうか。
現在、山形県立博物館に所蔵、展示されている縄文の女神は、縄文時代の人々の生活や信仰の一端を垣間見る貴重な資料として欠かせない存在です。
【山形市の記念メダル 「山形県庁舎新築落成記念」】
山形県庁舎新築落成記念メダルは、大正5年(1916年)と65年後の昭和50年(1975年)に山形県庁の新庁舎が完成したことを記念して製作されたメダルです。
大正5年(1916年)、初代の山形県庁舎は、1877年(明治10年)に酒田・鶴岡県令を経た初代県令の三島通庸(みしまみちつね)により建設されました。しかし、1911年(明治44年)の山形大火によって焼失。その後、同地での復興が計画され、1913年(大正2年)4月に建築に着手し、1916年(大正5年)6月に現在の建物が完成しました。
この建物の設計は、東京都出身の田原新之助が担当し、米沢市出身の中條精一郎が顧問を務めました。イギリス・ルネッサンス様式を基調としたレンガ造りの建物で、両翼62.721m、中央の時計塔までの高さは25.149mです。
山形県庁舎は、昭和50年(1975年)まで県庁舎として使用されていました。同年、県庁が山形市松波に移転し、新庁舎が建設されます。その後、旧県庁舎は昭和59年(1984年)12月に国の重要文化財に指定され、昭和61年(1986年)から修理工事が始められ、10年の歳月を経て平成7年(1995年)9月に完成しました。
修理工事にあたっては必要な構造補強を行い、在来の材料と工法で進められ、創建当時の姿の復元が図られました。
現在、旧県庁舎は「山形県郷土館(文翔館)」として公開され、山形県の歴史と文化を伝える場となっています。
山形県庁舎新築落成記念メダルは、山形県庁の歴史の節目としてふさわしい記念品となったでしょう。