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肖像メダルシリーズの今回の人物は福沢諭吉

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肖像メダルシリーズの今回の人物は福沢諭吉

造幣局が発行する肖像メダルシリーズから今回は福沢諭吉を選出。福沢諭吉と言えば1万円札を連想する方が多いと思います。来る2024年に紙幣が一新されることになり、40年間1万円札の顔を務めた福沢諭吉もついに見納めとなってしまいます。みなさんの福沢諭吉の記憶が「お札の人」で終わらないよう、今回ここで彼の肖像メダルとその人生を紹介したいと思います。

福沢諭吉の肖像と彼が使っていた4種の印章をレリーフ

福沢諭吉像

日本造幣局では2003年より、日本を代表する偉人についてその偉大な事績を表彰するとともに、時を越えて末永く保有できるように肖像メダルを製造しています。

そのなかから、これまでに当コラムでは野口英世と伊藤博文を紹介してきまして、3人目が福沢諭吉になります。福澤諭吉は、幕末明治の思想家・教育者として「学問のすゝめ」の刊行、慶應義塾の創立など新しい時代を切り開くさまざまな活動を展開し、日本の近代化に大きな足跡を残しました。

メダルの表面は福沢諭吉の肖像を浮き彫り仕上げで表現。裏面は福澤諭吉が使用した4種類の印章を環状に配し、デザインしています。

なお、印章はメダルの上部から時計回りに「無我他彼此」(がたぴしなし)、「福澤諭吉」、「三十一谷人」(さんじゅういっこくじん)、「明治卅弐秊後之福翁」(めいじさんじゅうにねんごのふくおう)となっています。

販売時の価格は2万1,000円、発行枚数は3,000枚。品位はSV1,000、重量約160g、直径60mmです。

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啓蒙思想家、教育者、作家など、様々な形で社会に貢献

天保5年12月12日(1835年1月10日)、九州中津藩(大分県)藩士・福沢百助と妻お順の二男三女の末っ子として大坂蔵屋敷で生まれた福沢諭吉。

2歳の時父を亡くし、母に連れられ中津に戻りました。

5歳頃から藩士・服部五郎兵衛に漢学と一刀流の手解きを受け始め、14、5歳になってから本格的に勉学をはじめ、とくに漢字を勉強し頭角を現します。

やがて19歳になった諭吉は、兄の勧めで長崎へ遊学して蘭学と砲術を学びました。

安政2年(1855年)、大坂に出て緒方洪庵の適塾に入門。お金がなく、途中からは塾に住み込みで勉強して、塾長にもなりました。
安政5年(1858年)、中津藩から江戸へ出るように命じられた諭吉は、江戸の中津藩邸に開かれていた蘭学塾の講師となるために江戸へ出ます。そして、築地鉄砲洲にあった奥平家の中屋敷に住み込み、そこで蘭学を指導。この蘭学塾「一小家塾」こそが、後の慶應義塾の基礎となったのです。

安政6年(1859年)、日米修好通商条約により、新たな外国人居留地となった横浜に出かけることにした諭吉。自分の話すオランダ語がどれだけ外国人に通じるか試してみるためでしたが、そこで使われていたのは英語だったためまったく通じず。
これにショックを受けた諭吉は、英語の必要性を痛感し独学で学んでいきます。そんな矢先、同年の冬に幕府は日米修好通商条約の批准交換のため、幕府使節団をアメリカに派遣することに決定。諭吉は万延元年(1860年)、幕府の軍艦咸臨丸の艦長の従僕を志願して渡米します。

そして、アメリカで購入した広東語・英語対訳の単語集である「華英通語」の英語をカタカナで読みをつけて、広東語の漢字の横には日本語の訳語をつけた、「増訂華英通語」を出版しました。これは諭吉が初めて出版した書物となりました。
文久元年(1861年)、幕府の遣外使節に「翻訳方」のメンバーとして随行。欧州各国の事情、歴史、思想を学び、その経験をもとに「西洋事情」初編を執筆。この本は20万部を超えるベストセラーとなりました。


大分県中津市 福澤諭吉旧居

慶応3年(1867年)、幕府のアメリカ行きの使節団に随行。帰国後「西洋旅案内」や「西洋事情」外編、「世界国尽」などを発刊して大衆にまだ見ぬ外国の知識を与えました。

そんななか、朝廷は王政復古を宣言。江戸開城後、諭吉は新政府から出仕を求められましたがこれを辞退し、以後も官職には就きませんでした。

そして、翌年には帯刀をやめて平民となったのです。そんな諭吉が力を注いだのが教育。翌年、蘭学塾を慶應義塾と名づけ、教育活動に専念するようになりました。

塾生から毎月授業料を受け取り運営する学校はこれが初めてでした。

明治5年(1872年)、「学問のすゝめ」の初編が発行され、大ベストストセラーに。第17編まで書き継がれて総発行部数340万に及びました。まず国民の自覚と自立が大切というのが諭吉の主張ですが、国家主導による政治を望んでいる者たちからは煙たがられ反感を買いました。

明治25年(1892年)、長與專齋の紹介で北里柴三郎を迎えて、伝染病研究所や土筆ヶ岡養生園を森村市左衛門と共に設立していきます。
諭吉は民権運動には当初から批判的で、1882年に創刊した「時事小言」などでも官民調和を唱え、晩年には「脱亜論」に見られるように、富国強兵政策を支持していました。

啓蒙思想家、教育者、作家など、さまざまな形で社会に貢献した福沢諭吉。彼が一般人に与えた影響は計り知れません。
また、今もなお彼が残した著書は読み継がれています。まさに、歴史に名を残す偉人ですね。

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福澤諭吉メダル╼

名称 福澤諭吉メダル
発行国 日本
質量(g) 約160g
直径(mm) 60mm
厚さ(mm) --
材質
品位(karat) SV1,000
発行枚数 3,000枚

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2021-11-07 11:18:51

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