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  • 宮城県石巻市で記念硬貨や金貨を高価買取するのは金貨買取本舗

    宮城県・石巻市に関係する記念硬貨・記念メダルのご紹介

    日本の歴史を振り返れば、どの時代においても中央政権は宮城県の一帯を東北支配の拠点としていました。その結果、古くから宮城県は中央政権の影響を受けつつ発展してきました。

    また宮城県の石巻市は、仙台市につぐ県内第二の人口を有する街です。伊達政宗の仙台開拓後、仙台市の海の玄関口として栄えました。

    そんな宮城県と石巻市の記念硬貨を紹介します。

    宮城県の記念硬貨一覧

    地方自治法施行60周年記念貨幣(宮城県) 1,000円銀貨幣

    地方自治法施行60周年記念貨幣(岐阜県) 千円銀貨幣

    発行年平成25(2013)年3月14日
    図柄(表)伊達政宗 慶長遣欧使節団
    図柄(裏)雪月花
    素材
    品位(千分中)純銀製
    量目31.1g
    直径40mm

    1000円銀貨幣の表面には、その都道府県を代表する歴史上の人物や史跡がデザインされています。

    そんな記念硬貨に堂々たる鎧姿で刻まれている伊達政宗は、まさに宮城県を代表する人物と言っても過言ではないでしょう。並んで図案になっている慶長遣欧使節団もまた、当時世界に目を向けていた政宗の功績の1つです。

    また、裏面の図案は、各県共通で雪の結晶、三日月、桜の花の組み合わせである、日本の伝統美を連想させる「雪月花」をモチーフにしたデザインとなっています。

    この記念硬貨には、数々の偽造防止技術が使われています。

    側面にある斜めのギザは、その1つです。現行の硬貨も100円玉のように側面にギザが入っている硬貨が存在しますが、このキザを斜めに入れることより、さらに偽造が難しくなります。

    また、あちこちに複雑に入れられた微細な点もまた、偽造防止に役立っています。

    このほか、裏面に施された潜像加工も偽造防止技術のひとつです。硬貨に潜像加工は珍しい処置ですが、裏面にある最も大きな雪の結晶からは、下に向けると「60」が、上に向けると「47」の文字が浮かび上がるようになっています。

    地方自治法施行60周年記念貨幣(宮城県) 500円バイカラー・クラッド貨幣

    地方自治法施行60周年記念貨幣(宮城県) 500円バイカラー・クラッド貨幣

    発行年平成25(2013)年7月17日
    図柄(表)仙台七夕まつり
    図柄(裏)古銭をイメージした「地方自治」
    素材銅・白銅・ニッケル黄銅
    品位(千分中)銅75%、亜鉛12.5%、ニッケル12.5%
    量目7.1g
    直径26.5mm

    500円記念硬貨の表面も、都道府県を象徴する名物がモチーフとなっています。

    宮城県の図案は、毎年8月県内で開催される七夕祭りです。仙台の七夕特有の「7つ飾り」と呼ばれる飾りが硬貨のなかで揺らめいています。

    また、裏面は古銭をイメージした、中央に四角い穴が開いたデザインです。

    日本の四角に丸の組み合わせは、日本や中国の古銭でよく見られるデザインですが、これは「天は円形であり、地は四角をしている」という古代中国の宇宙観に由来します。

    この宇宙観は「天円地方」と呼ばれ、中国では硬貨のみならず数々の建物の建築思想にもつながっています。

    この記念硬貨は、異なる種類の金属板をサンドイッチ状に挟みこむ「クラッド」と、それとは異なる金属の輪にはめ込む「バイカラー」技術の組み合わせでできています。日本の硬貨に使用されるのは、この記念硬貨が初めてのことです。

    【1000円記念硬貨の表面 『慶長遣欧使節団』】

    江戸時代というと、日本は「鎖国」しており海外との交流を持たなかったというのが一般的なイメージではないでしょうか。

    しかし、それは徳川家光が1639年にポルトガル船の来航を禁止してからの話であり、江戸時代初期の日本は積極的に海外との交流を持っていました。徳川家康もイギリス人のウィリアム・アダムスを外交顧問に据え、海外の情報を積極的に仕入れていました。

    そのような時勢のなか、1613年、宮城は石巻の港からスペインを目指して、一隻の船が出港します。

    スペインを目指して

    慶長遣欧使節は、仙台藩主の伊達政宗が交流のあったフランシスコ会宣教師のルイス・ソテロを正使、家臣の支倉常長を副使として、当時のスペイン国王フェリペ3世・ローマ教皇パウロ5世のもとに派遣した使節です。

    大航海時代を通して、スペインは「太陽の沈まぬ国」と称されるほどの絶大な経済力と、それに由来する軍事力を手にしていました。

    日本にも次々と国交を求める使節が来ていましたが、植民地化を危惧していた秀吉や家康により、全面的な外交は開かれないままでした。

    そんななか、政宗は家康からスペインとの交渉の許可を得て、この使節を派遣しました。出発から実に1年半ほどの時間をかけて到着したスペインの首都マドリードでは、フェリペ3世と謁見に臨みます。

    またこのとき、支倉は国王臨席のもと、キリスト教の洗礼を受けています。

    同年の暮れごろにローマに移動、パウロ5世に謁見し、翌年帰国の途につきました。

    謎だらけの使節の目的

    この使節の目的は、仙台藩が単独でスペインとの貿易を開始することだったとされています。

    確かに、当時のスペインは各地で植民地を経営しており、莫大な経済力を持つ国でした。そんな国と貿易ができれば、仙台藩はより潤ったことでしょう。

    しかし、ただでさえ62万石という大勢力である伊達氏を、さらに拡大させるであろう対外貿易を家康が何の考えもなく許可するとは考えられません。

    そのため派遣の理由に、「政宗はキリシタンであり、領内での布教を認めることを伝えるためだった」という説があります。

    確かに派遣した家臣である支倉常長はキリシタンです。また、政宗の正室である愛姫は京都でキリシタンである細川ガラシャと交流を持っていました。その結果、政宗が全くキリスト教の影響を受けていなかったとは考えにくいでしょう。

    ただ、後に政宗は幕府の命に従い、キリスト教を弾圧しているので、この説は状況証拠に由来するものにすぎません。

    使節がもたらしたもの

    石巻を出発した慶長遣欧使節は、太平洋を横断、メキシコを経由して大西洋を越えてスペインに入っています。

    そのため、支倉常長は「初めて海外で外交交渉をした日本人」であり、同時に「太平洋と大西洋を初めて横断した日本人」でもあります。

    ただ、使節が帰国する前には禁教令が出されていた上、支倉も帰国後まもなく死去したため、長らく日本ではその功績が日の目を見ることはありませんでした。

    再度支倉に注目が集まったのは、明治新政府による岩倉使節団のときです。岩倉具視を中心とした使節団は、スペインやローマでの支倉たちの足跡に触れて、大いに勇気づけられたといいます。

    また、支倉の残したローマ教皇への親書や教皇の肖像画などは、現在「慶長遣欧使節関係資料」として、ユネスコ記憶遺産に登録されています。

    【石巻市の記念メダル「サン・ファン・バウティスタ号」】

    慶長遣欧使節の出発地となった石巻市の記念メダルには、使節が利用したガレオン船の「サン・ファン・バウティスタ号」が刻まれています。

    市内にある慶長遣欧使節の歴史を紹介するサン・ファン館にて購入できます。

    ガレオン船って、どんな船?

    ガレオン船は大航海時代の16世紀半ばから18世紀ごろに活躍した帆船の一種です。大規模なマストを何本も持ち、速度が出るため大航海時代の花形の船でした。

    欧州各国が新大陸へと航海に出た結果、ガレオン船は大砲を何門も積み、次第に軍船としても使用されるようになっていきました。

    特に、大航海時代の覇者であったスペインのガレオン船は、50門ほどの大砲を備え、船員も600名という大規模な船であったことが記録に残っています。

    日本では、徳川家康の外交顧問を務めたイギリス人航海士のウィリアム・アダムスによって、1607年に西洋式の大型帆船が初めて建造されています。

    この船は、嵐によって船を失い、日本に漂着したフィリピン総督ドン・ロドリコがメキシコへと帰還するときに使用されました。ただ、遠洋航海をすることのなかった日本では、ガレオン船のような大型帆船の建造は、なかなか進みませんでした。

    ガレオン船を建造せよ

    ドン・ロドリコ救出の返礼大使として日本にやってきていたスペイン人航海士セバスティア・ビスカイノは、日本との交渉を終えて、1612年に帰国の予定でした。

    しかし、帰路の途中で暴風雨に遭い、乗っていた船が大破してしまった結果、帰国できないままでいました。

    そんなときに、知己を得ていた伊達政宗が船を建造し、欧州への使節派遣を計画していることを耳にします。

    これ幸いと、ビスカイノは政宗に対して、自分の持つガレオン船の造船技術を全て提供する代わりに、使節の船への同乗を許可してもらいます。

    当時のスペインは、自国の権益の基盤ともいえるガレオン船に関する一切の情報を非公開にしていました。

    特に外国に情報をもらした者を、容赦なく処刑するほどの徹底ぶりです。バレたら命の保証はないと知りながらも、ビスカイノは、出来上がる船に帰国の望みを託しました。

    こうして建造されたサン・ファン・バウティスタ号は見事太平洋の横断に成功し、使節とビスカイノをヨーロッパに送り届けることができました。

    復元された船の今

    サン・ファン・バウティスタ号は、平成年代に入ってから当時の記録をもとに復元が行われ、出港場所である石巻のサン・ファン館に展示されることとなりました。

    しかし、東日本大震災の被害や、長年の係留による主要部分の腐食もあり、2021年に解体が決定されました。

    400年以上も前に太平洋を横断した勇壮な姿は、今はメダルのなかでしか見ることは叶いません。このメダルを手にしたときには、海の向こうに思いをはせてはいかがでしょうか。

  • 宮城県大崎市で記念硬貨や金貨を高価買取するのは金貨買取本舗

    宮城県・大崎市に関係する記念硬貨・記念メダルのご紹介

    日本の歴史を振り返れば、どの時代においても中央政権は宮城県の一帯を東北支配の拠点としていました。その結果、古くから宮城県は中央政権の影響を受けつつ発展してきました。

    また、県北に位置する大崎市一帯には大規模な古墳が存在し、古くから発展してきたことがうかがえます。一方で豊かな自然が残っており、数々のブランド米の産地でもあります。

    そんな宮城県と大崎市の記念硬貨を紹介します。

    宮城県の記念硬貨一覧

    地方自治法施行60周年記念貨幣(宮城県) 1,000円銀貨幣

    地方自治法施行60周年記念貨幣(岐阜県) 千円銀貨幣

    発行年平成25(2013)年3月14日
    図柄(表)伊達政宗 慶長遣欧使節団
    図柄(裏)雪月花
    素材
    品位(千分中)純銀製
    量目31.1g
    直径40mm

    1000円銀貨幣の表面には、その都道府県を代表する歴史上の人物や史跡がデザインされています。

    そんな記念硬貨に堂々たる鎧姿で刻まれている伊達政宗は、まさに宮城県を代表する人物と言っても過言ではないでしょう。並んで図案になっている慶長遣欧使節団もまた、当時世界に目を向けていた政宗の功績の1つです。

    また、裏面の図案は、各県共通で雪の結晶、三日月、桜の花の組み合わせである、日本の伝統美を連想させる「雪月花」をモチーフにしたデザインとなっています。

    この記念硬貨には、数々の偽造防止技術が使われています。

    側面にある斜めのギザは、その1つです。現行の硬貨も100円玉のように側面にギザが入っている硬貨が存在しますが、このキザを斜めに入れることより、さらに偽造が難しくなります。

    また、あちこちに複雑に入れられた微細な点もまた、偽造防止に役立っています。

    このほか、裏面に施された潜像加工も偽造防止技術のひとつです。硬貨に潜像加工は珍しい処置ですが、裏面にある最も大きな雪の結晶からは、下に向けると「60」が、上に向けると「47」の文字が浮かび上がるようになっています。

    地方自治法施行60周年記念貨幣(宮城県) 500円バイカラー・クラッド貨幣

    地方自治法施行60周年記念貨幣(宮城県) 500円バイカラー・クラッド貨幣

    発行年平成25(2013)年7月17日
    図柄(表)仙台七夕まつり
    図柄(裏)古銭をイメージした「地方自治」
    素材銅・白銅・ニッケル黄銅
    品位(千分中)銅75%、亜鉛12.5%、ニッケル12.5%
    量目7.1g
    直径26.5mm

    500円記念硬貨の表面も、都道府県を象徴する名物がモチーフとなっています。

    宮城県の図案は、毎年8月県内で開催される七夕祭りです。仙台の七夕特有の「7つ飾り」と呼ばれる飾りが硬貨のなかで揺らめいています。

    また、裏面は古銭をイメージした、中央に四角い穴が開いたデザインです。

    日本の四角に丸の組み合わせは、日本や中国の古銭でよく見られるデザインですが、これは「天は円形であり、地は四角をしている」という古代中国の宇宙観に由来します。

    この宇宙観は「天円地方」と呼ばれ、中国では硬貨のみならず数々の建物の建築思想にもつながっています。

    この記念硬貨は、異なる種類の金属板をサンドイッチ状に挟みこむ「クラッド」と、それとは異なる金属の輪にはめ込む「バイカラー」技術の組み合わせでできています。日本の硬貨に使用されるのは、この記念硬貨が初めてのことです。

    【500円記念硬貨の表面『仙台七夕祭り』】

    仙台藩の開祖である伊達政宗は、仙台一円に数々の名物を生み出しています。

    たとえば、枝豆からつくるずんだもちや、仙台張子や仙台箪笥などの伝統工芸は、政宗が積極的に藩の名産としてとりあげたことが今日まで残る一因となりました。

    また、政宗は伝統芸能の保護活動にも余念がなく、城下の寺院や神社が伝え続けてきた神楽や剣舞などを藩の庇護下に置きました。

    さて、そんな政宗がはじめたもののひとつに、今では全国的に有名になった仙七夕祭りがあります。

    七夕祭りの始まり

    仙台の七夕祭りは、伊達政宗が藩の婦女に対する文化向上を目的として奨励したことで、各地で盛んになったとされていますが、詳しいことは分かっていません。

    ただ、年中行事としての七夕は、江戸時代中期ごろから全国で見られるようになったことが記録により明らかとなっています。

    仙台の七夕祭りは江戸時代を通じて、藩各地で行われていたようです。特に、1783年の天明の大飢饉のあとは世直しを目的に盛大に行われた記録が残っています。

    このほかにも、世の中で嫌なことがあったときは、それを忘れるかのように七夕に願いを掛けていたのかもしれません。

    復活と再開、そして

    そんな七夕祭りも、明治政府による七夕祭りなどの節句行事の禁止や新暦の採用などにより、徐々に七夕の風習自体が廃れ始めました。第一次世界大戦後の不景気も重なり、いつしか仙台の街から七夕の飾り付けは消えていきました。

    しかし、昭和2(1927)年、そんな状況を憂いた地元商店街の有志により、大規模な七夕飾りが復活しました。

    これが大勢の見物客を呼び、翌年には旧暦開催を新暦の月遅れの8月に開催することを決定、結果として庶民の風習であった七夕は仙台では大規模な祭りへと進化していきます。

    この後、戦争による中断を挟みながらも、高度経済成長期には東北三大祭りの1つに数えられるほどの規模に発展しました。

    仙台から海を越えて

    仙台の七夕祭りは、歴史とともに多くの街へと広まっていきました。

    日本国内では仙台市に本店を置く七十七銀行が、福島県の平町に支店を開設するときに、仙台の七夕祭りを紹介、結果として平町でも仙台市と同じ日程で七夕祭りが開催されています。

    ほかにも、同じ読み方であることから交流のある鹿児島県の薩摩川内市にも、仙台市は七夕飾りを寄贈しており、川内市の夏祭りで飾られています。

    また、仙台市の七夕祭りは、海を越えて外国でも広まりを見せています。

    そのひとつがブラジルのサンパウロです。同地では宮城県にルーツを持つ日系ブラジル人を中心に「サンパウロ仙台七夕祭り」が行われています。日本とブラジルは季節が逆であるため、この七夕祭りはサンパウロ市の冬の風物詩のひとつとなっています。

    海を越えるほどの影響力を持つ七夕祭りは、まさに宮城県の硬貨の図案として、これ以上ない名物でしょう。

    【仙台市の記念メダル 「仙台うみの杜水族館」】

    大崎市には残念ながら記念メダルが存在しませんでしたので、代わりに仙台市にある「仙台うみの杜水族館」の記念メダルを紹介します。

    海と人とをつなぐ

    この記念メダルの裏面には、全て共通して水族館のシンボルマークが刻まれています。

    阿武隈川や北上川など全国的に知られた一級河川に加えて、また松島などの海に由来する景勝地を持つ宮城県は、古くから水との関わり合いが深い地であったに違いありません。

    「仙」の字をモチーフにした水族館のシンボルマークも、そんな水の流れを示したものです。

    それだけではなく、シンボルマークは人と水の関わりも示しています。

    左端の緑は、「仙」の字のにんべんに当たる部分です。そのため、単に「美しい」だけの展示ではなく、人の営みである漁業にどう関わるのかなども展示に織り込み、「海と人がどのように関わっているのか」を魅力的に伝えてくれます。

    まさに海があるからこそ、人は生きていられるということが学べる、またとない場所です。

    豊かな海との「つながり」を魅せる

    仙台うみの杜水族館の見どころは、なんといっても地元三陸の海を模した大水槽でしょう。

    仕切りのない巨大な水槽では、生き物たちが本来の姿で泳いでいます。寒冷地域と温暖地域の海藻が同時にゆらめく奇跡の世界が再現され、生き物たちの「命」や「自然」の雄大さを感じられます。

    また、この水族館は2015年に閉館した、県内のマリンピア松島水族館から多くの生物を受け入れて展示していることでも有名です。

    閉館する水族館の生物をほかの水族館が受け入れることは珍しいことではないのですが、この水族館のすごいところは、生物と一緒に飼育員も受け入れている点です。

    地域の雇用までも鑑みている水族館は、日本でもここぐらいではないでしょうか。

    是非一度このメダルを手にしながら、人と海のかかわりについて考えてみてはいかがでしょうか。

  • 宮城県仙台市で記念硬貨や金貨を高価買取するのは金貨買取本舗

    宮城県・仙台市に関係する記念硬貨・記念メダルのご紹介

    日本の歴史を振り返れば、どの時代においても中央政権は宮城県の一帯を東北支配の拠点としていました。その結果、古くから宮城県は中央政権の影響を受けつつ発展してきました。

    また、そんな宮城県の県庁所在地である仙台市は、現代でも「杜の都(もりのみやこ)」と呼ばれるほどに、自然と人の暮らしが一体化している街です。

    そんな宮城県と仙台市の記念硬貨を紹介します。

    宮城県の記念硬貨一覧

    地方自治法施行60周年記念貨幣(宮城県) 1,000円銀貨幣

    地方自治法施行60周年記念貨幣(岐阜県) 千円銀貨幣

    発行年平成25(2013)年3月14日
    図柄(表)伊達政宗 慶長遣欧使節団
    図柄(裏)雪月花
    素材
    品位(千分中)純銀製
    量目31.1g
    直径40mm

    1000円銀貨幣の表面には、その都道府県を代表する歴史上の人物や史跡がデザインされています。

    そんな記念硬貨に堂々たる鎧姿で刻まれている伊達政宗は、まさに宮城県を代表する人物と言っても過言ではないでしょう。並んで図案になっている慶長遣欧使節団もまた、当時世界に目を向けていた政宗の功績の1つです。

    また、裏面の図案は、各県共通で雪の結晶、三日月、桜の花の組み合わせである、日本の伝統美を連想させる「雪月花」をモチーフにしたデザインとなっています。

    この記念硬貨には、数々の偽造防止技術が使われています。

    側面にある斜めのギザは、その1つです。現行の硬貨も100円玉のように側面にギザが入っている硬貨が存在しますが、このキザを斜めに入れることより、さらに偽造が難しくなります。

    また、あちこちに複雑に入れられた微細な点もまた、偽造防止に役立っています。

    このほか、裏面に施された潜像加工も偽造防止技術のひとつです。硬貨に潜像加工は珍しい処置ですが、裏面にある最も大きな雪の結晶からは、下に向けると「60」が、上に向けると「47」の文字が浮かび上がるようになっています。

    地方自治法施行60周年記念貨幣(宮城県) 500円バイカラー・クラッド貨幣

    地方自治法施行60周年記念貨幣(宮城県) 500円バイカラー・クラッド貨幣

    発行年平成25(2013)年7月17日
    図柄(表)仙台七夕まつり
    図柄(裏)古銭をイメージした「地方自治」
    素材銅・白銅・ニッケル黄銅
    品位(千分中)銅75%、亜鉛12.5%、ニッケル12.5%
    量目7.1g
    直径26.5mm

    500円記念硬貨の表面も、都道府県を象徴する名物がモチーフとなっています。

    宮城県の図案は、毎年8月県内で開催される七夕祭りです。仙台の七夕特有の「7つ飾り」と呼ばれる飾りが硬貨のなかで揺らめいています。

    また、裏面は古銭をイメージした、中央に四角い穴が開いたデザインです。

    日本の四角に丸の組み合わせは、日本や中国の古銭でよく見られるデザインですが、これは「天は円形であり、地は四角をしている」という古代中国の宇宙観に由来します。

    この宇宙観は「天円地方」と呼ばれ、中国では硬貨のみならず数々の建物の建築思想にもつながっています。

    この記念硬貨は、異なる種類の金属板をサンドイッチ状に挟みこむ「クラッド」と、それとは異なる金属の輪にはめ込む「バイカラー」技術の組み合わせでできています。日本の硬貨に使用されるのは、この記念硬貨が初めてのことです。

    【1000円記念硬貨の表面『伊達政宗』】

    各都道府県で「あなたの好きな戦国武将は」と質問すると、多くの都道府県では県ゆかりの人物の名前があがります。

    そんななかでも宮城県では、初代仙台藩主でもある伊達政宗がダントツで人気です。また、政宗を主人公にした大河ドラマ『独眼竜政宗』は、平均視聴率が39.7%と歴代第1位の記録を未だに保ち続けています。

    そんな大人気伊達政宗とはいったい、いかなる人物だったのでしょうか。

    東北の雄

    政宗は1567年、伊達家16代目当主の伊達輝宗とその正室である義姫の嫡男として誕生しました。

    同年は織田信長が美濃を制覇し、天下統一へと歩みだした年です。中央ではこれにより徐々に全国統一の気運が高まっている一方、東北地方は未だに群雄割拠が続いていました。伊達氏や最上氏、田村氏など、何十という小規模な戦国大名が各地に点在しており、婚姻関係によって、かろうじて和平が成り立つ状態でした。

    しかし、政宗の誕生により、その状態は大きく様変わりしていきます。

    元服後の政宗は東北各地で転戦し、次々と領主たちを服属させていきます。特に、1586年の人取橋の戦いでは、常陸の大大名である佐竹氏の元に集った南奥州の連合軍3万に対して、7000の手勢で互角の戦いを繰り広げたことで、政宗の名声はより高まっていきました。

    しかし、いよいよ秀吉が関東の北条氏攻めを開始したことで、さすがの政宗も秀吉に服属することを選び、以後しばらくは秀吉の直臣である蒲生氏郷の監視下に置かれることとなりました。

    仙台を開拓する

    関ヶ原の戦いの後、政宗は仙台に居城を移します。これが幕末まで続く仙台藩の基礎となります。

    政宗が開拓をはじめたときの仙台は、人家もまばらな原野でした。しかし、政宗と家臣たちの開拓の結果、加賀や薩摩などに次ぐ62万石の大規模な藩として成長しました。

    また、政宗は工業や芸事の発展にも余念がなく、現在まで続く宮城名物の「ずんだもち」や「七夕祭り」などの数々の名産、名物の開発者になったとされています。

    元祖「伊達者」

    日本語の「伊達」とは、「豪華」や「華美」などを意味する言葉です。元々は、男らしさを見せることに由来するとされています。

    一説によると、この「伊達者」の語源は、政宗にあるとされています。政宗は派手好きであり、そのような男らしいエピソードは枚挙に暇がありません。

    たとえば、秀吉が北条氏を攻めたとき、遅れて小田原にやってきた政宗は、処刑される覚悟を決めて、全身白装束で現れたといいます。さすがの秀吉も、これには関心を抱き領地の一部没収で収めました。

    ほかにも、嫡子のいろは姫誕生のときは、男子名しか考えていなかったため、そのまま考えていた「五郎八」とつけて「いろは」と読んだという潔いエピソードもあります。

    このような男らしさも、政宗の人気の秘訣ではないでしょうか。

    【仙台市の記念メダル「さよなら仙台市電」】

    日本で路面電車のある街というと、岡山市や高知市などが有名ではないでしょうか。かつては日本全国で見られた路面電車も自動車の普及などにより、現在では19路線ほどしか残っていません。

    仙台市も、かつては路面電車が市内一円を走り回っていました。仙台市の記念メダルは、そんなかつての路面電車の面影を思い起こすものです。

    杜の都を走り始めた路面電車

    明治時代後半から、仙台市は人口増加に対して都市整備が追いついておらず、交通網や上下水道の整備などが急務となっていました。

    ただ、道路の拡張などが必要となる路面電車の開業は、遅々として進みませんでした。明治40(1907)年に都市開発の提言がなされてから、ようやく大正15(1926)年に仙台駅を中心に2路線の開業に至りました。

    その後は、開業までの足踏みが嘘のように、順調に路線を拡大していきます。昭和3(1928)年に市内で開催された東北産業博覧会も後押しとなり、市民の足として仙台市電は活用されていきました。

    役目を終えた市電

    仙台市電は戦時中も全線で小規模ながらも営業を続けていましたが、戦争の影響は大きく本格的に復旧したのは昭和25(1950)年のことです。

    その後は国立仙台病院や宮城野原公園など、市内の主要施設を回る路線として、複線化などの大規模な改修工事が続けられることとなります。その結果、仙台市電は長年黒字を維持し続けることができていました。

    しかし、60年代からの自動車の普及により、徐々に路面電車の運行が難しくなっていきます。仙台市も市電の継続的な運用を考えていましたが、時代の流れには勝てず、昭和50(1975)年に市電全線の廃止を市議会で決定、翌年に仙台市電は半世紀に渡る歴史に幕を下ろしました。

    この記念メダルは、そんな廃止された仙台市電を惜しむものです。

  • 福岡県北九州市で記念硬貨や金貨を高価買取するのは金貨買取本舗

    福岡県・北九州市に関係する記念硬貨・記念メダルのご紹介

    玄界灘に面する福岡県は、古代から大陸と日本を結ぶ重要な場所でした。

    漢委奴国王の金印や大宰府跡など、大陸との外交や貿易の歴史が今も県内各地に残っています。しかし、同時に防人や元寇防塁のように、大陸との戦争の最前線にもなる重要な拠点でもありました。

    また、門司港を有する北九州市は、対岸の山口県下関市とともに、本州と九州を結ぶ重要な拠点として古くから栄えました。同じ港町でも博多港とは異なる趣きのある著名な観光地です。

    そんな福岡県と北九州市の記念硬貨を紹介します。

    福岡県の記念硬貨一覧

    地方自治法施行60周年記念貨幣(福岡県) 1,000円銀貨幣

    地方自治法施行60周年記念貨幣(福岡県) 1,000円銀貨幣

    発行年平成27(2015)年6月23日
    図柄(表)沖ノ島と宗像大社と金製指輪
    図柄(裏)雪月花
    素材
    品位(千分中)純銀製
    量目31.1g
    直径40mm

    1000円銀貨幣の表面には、その都道府県を代表する名所や名産品がデザインされています。

    福岡県の記念硬貨に刻まれた3つは、全て「道」の神である宗像三女神を祀る宗像大社に関連するものです。

    古くから大陸との交流の「道」として栄えた福岡県にとって、これ以上ないモチーフではないでしょうか。小さくとも宗像大社の荘厳さが伝わるカラーコインになっています。

    また、裏面のデザインは「雪月花」をイメージした雪の結晶、三日月、桜の花の組み合わせになっています。

    もともと「雪月花」は、白居易の詩の一節「雪月花時最憶君」に由来しますが、日本においては伝統的な日本の美を連想させる言葉です。日本人の心を表す言葉として、数多くのデザインにも使われています。

    その美しさが、今回の記念貨幣のデザインにも現れています。

    しかし、これらの図案は、ただ組み込まれているだけではありません。裏面にある最も大きな雪の結晶には、下に向けると「60」が、上に向けると「47」の文字が浮かび上がるという、潜像加工が施されています。

    これは硬貨の偽造防止のためで、微細点や側面の斜めギザなどとともに使用されています。

    地方自治法施行60周年記念貨幣(福岡県) 500円バイカラー・クラッド貨幣

    地方自治法施行60周年記念貨幣(福岡県) 500円バイカラー・クラッド貨幣

    発行年平成27(2015)年7月15日
    図柄(表)九州国立博物館と太宰府天満宮太鼓橋と梅
    図柄(裏)古銭をイメージした「地方自治」
    素材銅・白銅・ニッケル黄銅
    品位(千分中)銅75%、亜鉛12.5%、ニッケル12.5%
    量目7.1g
    直径26.5mm

    500円記念硬貨の表面も、都道府県を象徴する名所や名産品がモチーフとなっています。

    福岡県の図案は、県内にある九州国立博物館と太宰府天満宮、そして、県花である梅の3つです。全国の天満宮の総本宮である太宰府天満宮を中心に、それに関連する3つのモチーフがデザインされています。

    また、裏面のデザインは、中央に四角い穴が開いた古銭がモチーフです。

    四角に丸の組み合わせは、古代中国における「天は円形であり、地は四角をしている」という「天円地方」の宇宙観を示します。中国では、唐時代の開元通宝や、明時代の永楽通宝のように、古くからこのデザインの通貨が作り続けられていました。

    その影響を受けた日本も、和同開珎や寛永通宝のように古銭は「天円地方」の形です。

    ただ、この記念硬貨には穴が開いておらず、代わりに潜像加工が施されています。穴から浮かび上がるのは、地方自治法施行60周年を記念した「60」の文字と、47都道府県を示す「47」の文字です。

    【1000円記念硬貨の表面 『沖ノ島』】

    福岡県の記念硬貨の図案のひとつは、沖ノ島です。

    全国に7000も存在する宗像神社、厳島神社の総本社たる宗像大社の御神体である沖ノ島は、『神宿る島』として、現在でも厳しい戒律が守られています。

    また、島全体が国の天然記念物でもあり、日本神道の源流ともいえる自然崇拝を感じられる場所でもあります。

    海の正倉院

    沖ノ島は、九州本土から約60km離れた玄界灘に浮かぶ周囲4kmほどの小さな島です。

    こんな小さな島が、いつから宗像大社の御神体として祀られるようになったのか。その詳しい起源については、現在も分かっていません。

    日本書紀の記述によれば、宗像三女神と呼ばれる3柱の女神が、天孫降臨に先立って玄界灘の各島に降り立ったとの記述があり、沖ノ島はそのひとつであるとされています。

    そんな沖ノ島は、現在でも数多くの信仰に関する遺構が見つかる場所です。

    古くは弥生時代にまでさかのぼり、祭祀で用いられたと考えられる銅矛が出土しています。ほかにも、シルクロードを介して伝わったとされるペルシア産のガラス椀や、朝鮮半島経由とされる純金製の指輪が出土しており、いずれも重要文化財です。

    島内には、未だに手つかずのまま残っている多くの遺構や遺物があり、沖ノ島は「海の正倉院」とも呼ばれています。

    その遺物のなかには、一地方の豪族では入手できない高価な代物も見つかっています。このことから「朝廷による国家的な祭祀が行われていたのでは」との説もありますが、詳しいことは分かっていません。

    しかしいずれにせよ、古代日本にとって沖ノ島が特別であったことは間違いないでしょう。

    何人もその戒律を破る勿れ

    沖ノ島は、古代から女人禁制の戒律が守られてきた島です。

    また男性であっても、入島できるのは、毎年5月27日に開催される日本海海戦を記念した現地大祭に参列するときだけで、その人数も200人程度に限られています。

    沖ノ島と宗像大社は、2016年に世界文化遺産に登録されましたが、このときも大社の宮司は「沖ノ島は開示しない」として、戒律を続けていくことを決定しています。

    現在、沖ノ島は文化財や島の自然の保護の観点から、宗像大社の神職と研究者を除いて島の周辺2km以内に近づくことさえできません。

    そのほかにも、鳥居の先からのことを口外しない「不言様(おいわずさま)」や、一木一草一石たりとも島の外へと持ち出してはならないことなど、沖ノ島には数多くの戒律が存在します。

    接近禁止令に代表されるようなこれら戒律は、今後も沖ノ島を守る上で重要なことでしょう。

    宗像三女神は、「道」を守る神です。もし機嫌を損ねることがあれば、重大な事故につながるかもしれません。

    【北九州市の記念メダル『小倉城』】

    1963年に門司市、小倉市、若松市、八幡市、戸畑市の5市が合併して誕生した北九州市は、港町、工業都市、そして、城下町の3つの要素を内包した街です。

    県内では福岡市に次ぐ九州地方第2の都市であり、三大都市圏以外で初めて政令指定都市に指定された大都市でもあります。

    そんな大都市ですが、記念メダルは市の中心部に位置する小倉城で購入できます。

    海と大地の交わる場所

    九州の玄関口である北九州市は、現在でも九州各地へとつながる主要な鉄道や道路網の起点です。同時に、関門海峡に面することから、大陸と瀬戸内海を結ぶ海上の要衝でもありました。

    小倉城は海路と陸路を同時に監視できる重要な拠点として、すでに13世紀中ごろには築かれていたとされています。しかし重要拠点であるため、周辺の大内氏や大友氏、少弐氏などがたびたび奪い合い、何度も城主が代わっています。

    関ヶ原の戦いの後に細川氏が入城し、現在の小倉につながる城下町が整備されました。

    唐造りの海城

    現在、周辺は埋め立てられてしまっていますが、かつての小倉城は場内に船着き場を備えた海城でした。

    島国である日本では、愛媛県の今治城や宇和島城など瀬戸内海を中心に数多くの海城が存在します。

    ただ、数多くの海城のなかでも、小倉城の天守は「唐造り」と呼ばれるほかの海城にはない独特のつくりをしています。

    唐造りは、上の階が下の階よりも大きく張り出している天守閣の造りを指します。

    小倉城の建設当時は、徳川家康によって天守の階層に規定が定められていました。当時の小倉城の城主であった細川忠興は、この規定をクリアしつつも、威厳ある天守を建てるために唐造りを採用したとされていますが、詳しいことは分かっていません。

    しかし、当代一の文化人として名高い忠興の建てた城ということで、あちこちから視察に訪れる人が相次いだとの記録が残っています。

    なかでも岡山県の津山城、香川県の高松城は、小倉城をモデルにしたと伝わっています。

    そんな文化人の趣味が現れた城の記念コインを手に取ってみてはいかがでしょうか。

  • 福岡県福岡市で記念硬貨や金貨を高価買取するのは金貨買取本舗

    福岡県・福岡市に関係する記念硬貨・記念メダルのご紹介

    玄界灘に面する福岡県は、古代から大陸と日本を結ぶ重要な場所でした。

    漢委奴国王の金印や大宰府跡など、大陸との外交や貿易の歴史が今も県内各地に残っています。しかし、同時に防人や元寇防塁のように、大陸との戦争の最前線にもなる重要な拠点でもありました。

    特に、博多港を有する福岡市は、福岡県の県庁所在地として、古くから栄えた街です。また、江戸時代には黒田氏の城下町として、全国的に栄えました。

    そんな福岡県と福岡市の記念硬貨を紹介します。

    福岡県の記念硬貨一覧

    地方自治法施行60周年記念貨幣(福岡県) 1,000円銀貨幣

    地方自治法施行60周年記念貨幣(福岡県) 1,000円銀貨幣

    発行年平成27(2015)年6月23日
    図柄(表)沖ノ島と宗像大社と金製指輪
    図柄(裏)雪月花
    素材
    品位(千分中)純銀製
    量目31.1g
    直径40mm

    1000円銀貨幣の表面には、その都道府県を代表する名所や名産品がデザインされています。

    福岡県の記念硬貨に刻まれた3つは、全て「道」の神である宗像三女神を祀る宗像大社に関連するものです。

    古くから大陸との交流の「道」として栄えた福岡県にとって、これ以上ないモチーフではないでしょうか。小さくとも宗像大社の荘厳さが伝わるカラーコインになっています。

    また、裏面のデザインは「雪月花」をイメージした雪の結晶、三日月、桜の花の組み合わせになっています。

    もともと「雪月花」は、白居易の詩の一節「雪月花時最憶君」に由来しますが、日本においては伝統的な日本の美を連想させる言葉です。日本人の心を表す言葉として、数多くのデザインにも使われています。

    その美しさが、今回の記念貨幣のデザインにも現れています。

    しかし、これらの図案は、ただ組み込まれているだけではありません。裏面にある最も大きな雪の結晶には、下に向けると「60」が、上に向けると「47」の文字が浮かび上がるという、潜像加工が施されています。

    これは硬貨の偽造防止のためで、微細点や側面の斜めギザなどとともに使用されています。

    地方自治法施行60周年記念貨幣(福岡県) 500円バイカラー・クラッド貨幣

    地方自治法施行60周年記念貨幣(福岡県) 500円バイカラー・クラッド貨幣

    発行年平成27(2015)年7月15日
    図柄(表)九州国立博物館と太宰府天満宮太鼓橋と梅
    図柄(裏)古銭をイメージした「地方自治」
    素材銅・白銅・ニッケル黄銅
    品位(千分中)銅75%、亜鉛12.5%、ニッケル12.5%
    量目7.1g
    直径26.5mm

    500円記念硬貨の表面も、都道府県を象徴する名所や名産品がモチーフとなっています。

    福岡県の図案は、県内にある九州国立博物館と太宰府天満宮、そして、県花である梅の3つです。全国の天満宮の総本宮である太宰府天満宮を中心に、それに関連する3つのモチーフがデザインされています。

    また、裏面のデザインは、中央に四角い穴が開いた古銭がモチーフです。

    四角に丸の組み合わせは、古代中国における「天は円形であり、地は四角をしている」という「天円地方」の宇宙観を示します。中国では、唐時代の開元通宝や、明時代の永楽通宝のように、古くからこのデザインの通貨が作り続けられていました。

    その影響を受けた日本も、和同開珎や寛永通宝のように古銭は「天円地方」の形です。

    ただ、この記念硬貨には穴が開いておらず、代わりに潜像加工が施されています。穴から浮かび上がるのは、地方自治法施行60周年を記念した「60」の文字と、47都道府県を示す「47」の文字です。

    【1000円記念硬貨の表面 『宗像大社』】

    日本には、創建の年代が詳しく分かっていない神社が全国各地に存在します。

    たとえば、長野県の諏訪大社や島根県の出雲大社、奈良県の大神神社(おおみわじんじゃ)は、「古事記」や「日本書紀」に記される日本神話の時代には、すでに神社があったとされています。

    そして、福岡県の記念硬貨の図案になった宗像大社もまた、神の時代から続くとされる由緒正しい神社のひとつです。

    島ひとつを御神体として祀るこの神社は、ほかの神社にはない特異な部分を数多く持っています。

    海の道を守る神社

    福岡県にある宗像大社は、全国各地に約7000社あるとされる宗像神社、厳島神社の総本社です。

    宗像大社はひとつの神社ではなく、福岡県宗像市田島の辺津宮、筑前大島の中津宮、そして、沖ノ島の沖津宮の3つの神社を総称して、宗像大社と呼んでいます。

    地図上において3つの社は全て一直線上にあり、古代から大陸と日本を結ぶ海路に沿って点在しています。

    この海路がある玄界灘は、季節風の影響で激しく荒れる海として有名です。そのため、古くから宗像大社は航海の安全を祈願する船主や海軍からの信仰を集めました。

    現在では、航海に限らず、あらゆる「道」の安全祈願の神として信仰されています。

    宗像大社の歴史

    宗像大社の祭神は、宗像三女神と呼ばれる、タゴリヒメ、タギツヒメ、イチキシマヒメの3柱です。それぞれ沖津宮、中津宮、辺津宮に祀られています。

    「日本書紀」や「古事記」によると、この女神たちはアマテラスとスサノオの誓約のときに、アマテラスが噛み砕いた剣の破片から生まれたとされています。

    その後、三女神はアマテラスの命を受けて、皇孫ニニギノミコトを見守り助けるべく、筑紫宗像の地に降り立ちました。これが、宗像大社の起源です。

    この起源から宗像三女神は、アマテラスの娘としても扱われています。また、天皇家の祖であるニニギノミコトとのつながりも強い宗像大社は、アマテラスを祀る伊勢神宮と対比から「裏伊勢」とも呼ばれています。

    そのため、宗像大社を古くから大和朝廷は重視していました。朝廷が遷都するたびに、宗像大社の分社を置くことにはじまり、代々神主を務める宗像氏は、何度か一族の娘を天皇家に嫁がせたりもしています。また、数多くの寄進を朝廷直々に受けた記録も残っています。

    その厚遇は、時代が変わっても変わりませんでした。特に戦国時代などは、大内氏や大友氏、少弐氏などの近隣の大名同士の戦争に度々動員され、何度か本殿も攻撃を受けています。しかし、その度に朝廷や武家によって、再建がくり返されてきました。

    現存する辺津宮の本殿は1578年に大社宮司の宗像氏貞によって、拝殿は1590年に小早川隆景によって再建されたもので、現在では国の重要文化財に指定されています。

    【福岡市の記念メダル 『福岡タワー』】

    博多の港を中心に街が広がる福岡市は、海とともに発展してきた街です。各地に点在する観光地も海に関連したものが多く、記念メダルもそれぞれの場所で購入できます。

    そのなかでも、市のシンボルでもある福岡タワーを紹介します。

    未来へ出港する帆

    福岡タワーは、福岡市で1989年に開催されたアジア太平洋博覧会のモニュメントとして建設されました。

    奇しくもこの年は福岡市市政開始の100周年記念の年でもあったため、福岡タワーは新しい市のシンボルとなっています。

    正三角柱の形をした全面鏡張りの福岡タワーは、その外観から「ミラーセイル」という愛称が博覧会中に付けられました。これは「21世紀に向かって漕ぎ出す帆」がイメージの元です。

    福岡タワーが建つ百道浜一帯は、前述の博覧会のときに同時に埋め立てが進んだ場所です。博多の西側に位置するこの一帯は、綿密な都市計画の元で整備されており、住んでもよし仕事でもよしと、新しい市民の憩いの場となりました。

    また、福岡タワーの高さは234mと、日本で最も高い海浜タワーです。

    本来、福岡市は市街地に福岡空港が立地するため、あまり高い建物を建てることができません。しかし、新しく整備された百道浜一帯は、空港に関連する制限の外にあり、高さを気にすることなく建てられる場所です。

    その中に建てられた福岡タワーは、現在でも福岡市内で最も高い建物であり、上空から見下ろす市街地や玄界灘は、まさに圧巻の一言です。

    恋人の聖地・放送の基地

    福岡タワーは、NPO法人地域活性化支援センターが選定する『恋人の聖地』のひとつにも選ばれています。

    展望台にあるハートのアーチは、8色から選んでライトアップできるため、ロマンチックな演出を求める恋人たちの絶好のデートスポットです。

    また福岡タワーは電波塔でもあります。福岡を拠点とするテレビ局やラジオ局がこぞってタワー内に配信機器を用意しており、福岡県一帯の放送の中心として活用されているのです。

    そんな不思議な二面性を持つ福岡タワーにまつわる記念メダルは、福岡タワー、公式キャラクターのフータくん、そして、恋人の聖地の3種類です。

    福岡を訪れたときは、どれかを手に取って、海の向こうにあるかもしれない未来に思いをはせてはいかがでしょうか。

  • 福岡県久留米市で記念硬貨や金貨を高価買取するのは金貨買取本舗

    福岡県・久留米市に関係する記念硬貨・記念メダルのご紹介

    玄界灘に面する福岡県は、古代から大陸と日本を結ぶ重要な場所でした。

    漢委奴国王の金印や大宰府跡など、大陸との外交や貿易の歴史が今も県内各地に残っています。しかし、同時に防人や元寇防塁のように、大陸との戦争の最前線にもなる重要な拠点でもありました。

    また、県南の久留米市は、筑後国の国府が置かれ古くから栄えた街です。その後も、江戸時代は商業都市として、近代は軍都として、街の形を変えながら現代へと至っています。

    そんな福岡県と久留米市の記念硬貨を紹介します。

    福岡県の記念硬貨一覧

    地方自治法施行60周年記念貨幣(福岡県) 1,000円銀貨幣

    地方自治法施行60周年記念貨幣(福岡県) 1,000円銀貨幣

    発行年平成27(2015)年6月23日
    図柄(表)沖ノ島と宗像大社と金製指輪
    図柄(裏)雪月花
    素材
    品位(千分中)純銀製
    量目31.1g
    直径40mm

    1000円銀貨幣の表面には、その都道府県を代表する名所や名産品がデザインされています。

    福岡県の記念硬貨に刻まれた3つは、全て「道」の神である宗像三女神を祀る宗像大社に関連するものです。

    古くから大陸との交流の「道」として栄えた福岡県にとって、これ以上ないモチーフではないでしょうか。小さくとも宗像大社の荘厳さが伝わるカラーコインになっています。

    また、裏面のデザインは「雪月花」をイメージした雪の結晶、三日月、桜の花の組み合わせになっています。

    もともと「雪月花」は、白居易の詩の一節「雪月花時最憶君」に由来しますが、日本においては伝統的な日本の美を連想させる言葉です。日本人の心を表す言葉として、数多くのデザインにも使われています。

    その美しさが、今回の記念貨幣のデザインにも現れています。

    しかし、これらの図案は、ただ組み込まれているだけではありません。裏面にある最も大きな雪の結晶には、下に向けると「60」が、上に向けると「47」の文字が浮かび上がるという、潜像加工が施されています。

    これは硬貨の偽造防止のためで、微細点や側面の斜めギザなどとともに使用されています。

    地方自治法施行60周年記念貨幣(福岡県) 500円バイカラー・クラッド貨幣

    地方自治法施行60周年記念貨幣(福岡県) 500円バイカラー・クラッド貨幣

    発行年平成27(2015)年7月15日
    図柄(表)九州国立博物館と太宰府天満宮太鼓橋と梅
    図柄(裏)古銭をイメージした「地方自治」
    素材銅・白銅・ニッケル黄銅
    品位(千分中)銅75%、亜鉛12.5%、ニッケル12.5%
    量目7.1g
    直径26.5mm

    500円記念硬貨の表面も、都道府県を象徴する名所や名産品がモチーフとなっています。

    福岡県の図案は、県内にある九州国立博物館と太宰府天満宮、そして、県花である梅の3つです。全国の天満宮の総本宮である太宰府天満宮を中心に、それに関連する3つのモチーフがデザインされています。

    また、裏面のデザインは、中央に四角い穴が開いた古銭がモチーフです。

    四角に丸の組み合わせは、古代中国における「天は円形であり、地は四角をしている」という「天円地方」の宇宙観を示します。中国では、唐時代の開元通宝や、明時代の永楽通宝のように、古くからこのデザインの通貨が作り続けられていました。

    その影響を受けた日本も、和同開珎や寛永通宝のように古銭は「天円地方」の形です。

    ただ、この記念硬貨には穴が開いておらず、代わりに潜像加工が施されています。穴から浮かび上がるのは、地方自治法施行60周年を記念した「60」の文字と、47都道府県を示す「47」の文字です。

    【500円記念硬貨の表面『太宰府天満宮太鼓橋』】

    福岡県の記念硬貨の図案は、太宰府天満宮の境内にある太鼓橋です。

    太鼓の胴のように丸く反った形をしていることから太鼓橋と呼ばれ、日本や中国の庭園でよく使われる形状の橋です。

    しかし、大宰府天満宮の境内にある太鼓橋は、ほかの太鼓橋とは趣きが異なります。

    天神の霊廟

    全国に「天満宮」や「天神神社」と呼ばれる神社は数多く存在しますが、そのなかでも大宰府天満宮は、京都の北野天満宮とあわせて、その総本社に位置づけられています。

    学問の神として、そして、日本三大怨霊にも数えられる菅原道真を祀る天満宮ですが、大宰府天満宮は、この地で没した道真の霊廟としての側面もあり、篤く信仰されている神社です。

    現在の社殿や境内は、江戸時代初期に黒田氏が整備したものが元になっています。

    あの世とこの世を分ける境界

    古くから日本では「橋」というのは、あの世とこの世の境を示すものでした。

    たとえば、京都の一条戻橋、日光の神橋など、多くの霊山・霊場とされる場所には、現在でも橋がかけられています。そのため境内に橋がある神社というのは、そう珍しいものではありません。

    太宰府天満宮の太鼓橋も、参道から社殿、つまりは道真の霊廟へ向かう道中にある心字池にかけられています。これもまた、橋の先、社殿のある場所は「この世」ではない場所であることを暗に示しているのではないでしょうか。

    三世一念を表す橋

    太宰府天満宮の鳥居をくぐって、すぐに見えてくる太鼓橋は、全国的にも珍しい3つの橋で構成されています。

    手前から順番に、それぞれ仏教思想における「過去」「現在」「未来」の三世一念の相を表しており、順番に渡ることで三世の邪念を清められるとされています。

    元々、太宰府天満宮は、明治時代の廃仏毀釈までは「安楽寺」という寺院とともに存在していました。そのため、境内には現在でも仏教思想に由来する部分が残っています。

    この橋を渡るときは、過去の橋では「後ろを振り返らない」、現在の橋では「立ち止まらない」、未来の橋では「つまづかない」という、それぞれ注意がなされています。

    また、本殿からの帰りには、この橋を使用しません。この橋を逆向きに渡ると、「未来」から「過去」へと帰ることになります。そのため、帰りは脇道を通って外へ出る方が良いとされています。

    【柳川市の記念メダル『水郷 柳川観光メダル』】

    久留米市には、残念ながら記念メダルがありませんでしたので、久留米市と同じ筑後地方にある、柳川市の記念メダルを紹介します。

    柳川市は、市内を縦横に水路が流れることから「水の都」と呼ばれています。また、有明海を臨む城下町としても有名です。

    そんな柳川市の記念メダルは、市を象徴する3種類の図案がセットになっています。

    詩人 北原白秋の故郷

    柳川市は、詩人北原白秋の生まれ故郷です。

    白秋の出身である北原家は、江戸時代以来柳川市で栄えた商家であり、白秋自身も幼いころは何不自由なく、過ごしていたといいます。しかし、高校に入学したころから文学に熱中しはじめ、徐々に文壇のなかで頭角を表していきました。

    そんな白秋は、1911年に故郷の柳川をうたった詩集「思ひ出」を刊行します。故郷への懐旧が深く表れた詩は、白秋の文名を大きく高めるものでした。

    白秋は作品のなかで、故郷柳川のことを「水郷」と称しています。これは現在でも市内に流れる大規模な掘割に由来するものです。

    戦国時代から整備され始めた掘割は、最初は市内にある柳川城の堀として開発されました。その後、江戸時代には上水道や農業用水路としての整備が進んでいきます。

    その結果、市内の掘割は、有明海の干拓や市内の水運の発展にも寄与し、柳川一帯は城下町として栄えることとなります。

    静かな廃市からの復活

    しかし、同時に白秋は故郷を「静かな廃市」とも呼んでいます。

    江戸時代から変わらない街並みを残したまま発展せず廃れてゆくことを、白秋は嘆いていたのではないでしょうか。

    彼の嘆きが現実になるかのように、柳川のシンボルであった掘割は、上下水道や道路網の整備とともに、昭和40年代からゴミの不法投棄が横行し、往時の姿が失われていきました。1977年には、全ての掘割を下水道にする計画が市議会で決定されたほどです。

    しかし、翌年の1978年に一転、当時の市の下水課長であった広松伝の研究を受け、市長古賀杉夫が掘割の浄化計画を決定します。

    市民も一丸となった掘割の保存活動が開始されたことで、徐々に元の姿を取り戻していきました。

    ただ、総延長930㎞にも及ぶ掘割全ての再生が終わったわけではありません。生活排水による水質汚染や下水道の整備など、課題はまだ山積しています。

    それでも、市民が守り、美しい姿を取り戻しつつある掘割は、現在は「川下り」の舞台として、多くの観光客に人気のスポットになっています。

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