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明治維新の後、日本の貨幣制度は大きく変化をしました。明治時代の新貨幣を手掛けた人物として有名なのが、加納夏雄です。彼が制作した硬貨にどのくらいの価値があるか気になる人も多いのではないでしょうか。この記事では、加納夏雄の経歴にも触れながら硬貨の特徴や価値、高く売るためのポイントなどを解説していきます。
加納夏雄は、江戸時代後期から明治時代にかけて彫金の世界で腕を振るった人物です。出生から帝室技芸員となるまでの彼の軌跡をここでご紹介します。
加納夏雄は、文政11年(1828年)に京都で生まれました。生家は京都の米穀商である伏見屋ですが、刀剣商の加納治助の養子となったことで加納の姓を名乗ることになります。
幼い頃から刀剣の鍔(つば)などの美しさに魅了されていた彼は、子供時代から鏨(たがね)などの工具を使うようになり、12歳のときに彫金師の奥村荘八に師事します。
加納夏雄が彫金の世界で独立を果たしたのは19歳のときです。彼は京都で開業し、刀剣装飾を中心に事業を展開し始めます。
加納夏雄が開業した弘化3年(1846年)は、幕末の動乱の真っ只中でした。何人もの職人を抱えていた彼は、分業のスタイルを取り入れて刀剣装飾の仕事を行っていたことで知られています。
効率性を重視した大量生産のスタイルは、後の彼の事業にもプラスの影響を与えました。
幕藩体制が崩壊し、明治時代を迎えると彼の事業も大きく変わりました。
廃刀令が公布されてからは刀剣装飾の仕事が大幅に減りましたが、彼は新貨幣の製造という新しい分野で名を上げます。
彫金師として評価されていた加納夏雄は、政府の依頼で明治の新貨幣の製造に携わる彫刻家に起用されました。以後は、造幣寮で新貨幣の製造に従事していきます。
ビジネスの才能にも長けていた加納夏雄は、造幣寮を去った後も引き続き精力的に活動を行います。
手掛けていた事業が軌道に乗り、ウィーン万国博覧会や展覧会などでも高い評価を受けました。明治23年(1890年)に帝室技芸員の名誉を与えられ、彼は彫金師として注目を浴びます。東京美術学校の教授に就任するなど後生の育成にも貢献しています。
加納夏雄は明治時代という動乱の時代に持ち前の経営センスと技術力で、その名を世界に轟かせました。
加納夏雄は刀剣装飾に携わっていた時代から、常に技術を磨くことに力を入れていました。彼の技量の高さは、現代でも高く評価されています。
加納夏雄が得意としたのが、片切彫りと呼ばれる手法です。
片切彫りはモチーフの片側の線を垂直に刻み、その他の線を斜めに彫っていくのが特徴です。江戸時代中期の彫金師が創始したこの手法を用いると、モチーフが立体的に見えます。
加納夏雄は高い技術力を駆使して人物や花鳥、鯉などの精巧で美しいデザインを手掛けていました。彼は刀剣装飾の時代に円山派の絵師から画を学んでおり、作品にも写実的なものが多く見られます。
加納夏雄は明治時代に手掛けた刀装具や硬貨だけでなく、さまざまなアイテムで高い技術力を発揮しています。彼は花瓶や置物などの生活用品も数多く制作しており、いろいろなシーンで持ち前の技量を活かしました。
宮内庁三の丸尚蔵館や京都の清水三年坂美術館などには、加納夏雄が制作した花瓶やシガレットケースなどが収蔵されています。
江戸時代から明治時代にかけての彫金の技術を知る貴重な史料として、彼の作品は珍重されている状況です。
加納夏雄が制作した硬貨には、いくつかの特徴があります。その金工師ならではの特徴は骨董品の取引市場でも高く評価されることが多いです。彼の硬貨の特徴を少し見てみましょう。
加納夏雄の硬貨の特徴に挙げられるのが、精巧な龍のモチーフです。
宝珠と龍のダイナミックで躍動感のあるデザインには、彫金師である彼の技術が存分に生かされています。1枚1枚が丁寧に彫刻された龍の鱗や細かく仕上げられたひげの線などは、加納夏雄の技量の高さを垣間見ることができる部分です。
ちなみに、龍のモチーフは硬貨の裏面中央にデザインされています。
加納夏雄が手掛けた硬貨では、天皇家の紋章である菊のモチーフも有名です。
均整の取れた花びらが並ぶ上品なデザインが加納夏雄の菊の紋章の特徴と言えるでしょう。菊の紋章と合わせて刻印されている菊の枝葉や桐のモチーフも、絵画のような生命力あふれるデザインです。
加納夏雄は明治天皇の太刀飾りも制作しています。
明治時代に発行された新貨幣は当初はイギリス人の技師が作る予定になっていました。
しかし、加納夏雄の試作品を見たイギリス人の技師が彼の作品のデザインの美しさと完成度の高さに圧倒され、自ら辞退したと言われています。
このような経緯から、新貨幣のデザインや制作は加納夏雄に一任されることになりました。加納夏雄は、外国人からも一目置かれるような技術を持っていたと言えるでしょう。
明治4年に貿易用銀貨として発行された一円銀貨も加納夏雄の龍図が原案
加納夏雄は金貨や銀貨、銅貨などのさまざまな硬貨を手掛けています。
現在の取引市場では、新1円銀貨は10万円から50万円前後、半銭銅貨や二銭銅貨は1千円から1万円前後が取引相場の金額になっています。
取引市場で特に価値が高い加納夏雄の金貨について、ここでまとめて見ていきましょう。
加納夏雄の硬貨でも特に取引相場が高いのが、旧20円金貨です。
旧20円金貨は明治3年から明治25年にかけて発行された金貨で、年ごとに発行枚数が限られています。いずれも発行枚数が少ないため、市場に出回ることもめったになく、古銭の取引市場でも貴重な硬貨として注目されています。
希少価値があることからコレクターからも人気が高く、買取に出すと高額な金額で売れる可能性が高いです。
加納夏雄の旧20円金貨には明治3年、9年、10年、13年、25年の銘がありますが、硬貨の価値は発行年によって変わります。
例えば、明治3年の旧20円金貨は46,139枚ほど発行されており、2018年の取引価格は300万円台から500万円台です。
一方、明治10年の旧20円金貨はわずか29枚しか発行されておらず、2018年の取引価格は1,200万円から2,000万円ほどです。明治10年の旧20円金貨は贈答や展示のために発行されたため、他の年の金貨よりも大幅に枚数が少なくなっています。
加納夏雄の金貨は発行年で取引価格が大きく変動することから、売却を考えるときは銘の確認が必須です。
明治25年に発行された加納夏雄の旧20円金貨は、発行枚数が不明です。
この年の旧20円金貨は古銭の取引市場でも非常にレアな品となっており、入手が困難な硬貨として扱われています。
取引事例もほとんどないため、具体的な価格を素人が把握するのは困難です。
加納夏雄の硬貨を高い金額で売りたいときは、相場の金額をチェックしておくのがポイントです。相場がわかっていれば、貴重な硬貨を安く手放してしまうリスクが減ります。
利用する業者をしっかり選ぶこともポイントになるでしょう。
如何でしたでしょうか?明治時代~江戸時代に活躍した日本が世界に誇る彫刻師、加納夏雄についてお話をしました。
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