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【海外金貨買取】イギリス編・名誉革命の中心人物、ウィリアム3世とは?

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【海外金貨買取】イギリス編・名誉革命の中心人物、ウィリアム3世とは?

英国の歴史的価値がある金貨のひとつにウィリアム3世の金貨があります。
当時発行されたギニー金貨で発行されましたがギニーはギニアで発掘された金を用いたことが名前の由来になっているそうです。

5ギニー金貨はチャールズ2世から始まり、ジェームズ2世、ウィリアム3世&メアリー2世、ウィリアム3世、アン女王、ジョージ1世、ジョージ2世、ジョージ3世の順に発行されました。
今回はオランダ総督でありながらステュアート朝国王・イングランド王であり、スコットランド王やアイルランド王でもあったウィリアム3世とウィリアム3世の金貨についてお話しいたします。

ウィリアム3世の金貨とステュアート朝時代の英国

ウィリアム3世金貨表面


100年以上前に発行された金貨や銀貨は、アンティークコインと言われ歴史的な価値のあるコインです。そのアンティークコインで英国王朝金貨の中でも、1枚の金貨の中に2人の肖像が描れている大変特徴のあるデザインの金貨があります。
1691年に発行されたウィリアム3世とメアリー2世夫妻のコインです。こちらは名誉革命後に共同統治でイギリス国王になったためお二人の姿が描かれています。
また妻のメアリー2世が崩御した後は、ウィリアム3世が単独政治を行うようになり、その時にはウィリアム3世の金貨も発行されました。次章からはウィリアム3世の幼少期から統治までを金貨のご紹介を交えながらお伝えしていきます。

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清教徒革命勃発!当時のイギリスの時代背景

ヨーロッパ北部のイギリスでは、エリザベス一世が勢力を強めていました。しかし、あまりの勢いで国王の権力が強大なものとなり、コントロールできなくなってしまったのです。農村や社会構造の変化に国家体制が追いつかず、社会の歪みが次第に大きくなっていました。

当時、物価の上昇や余剰生産が地主と富農の手に留まっていたことを原因に、国家財政も急激に悪化していました。国王は税収への依存を強め、徴収強化に乗り出しましたが、これが農民のみならず貴族や商人の不満を高めることになったのです。

1642年、当時のイギリス国王であたチャールズ1世がプロテスタントを弾圧したことにより、オリバー・クロムウェルを中心とした議会派により市民革命が起きます。第二次イングランド内戦の争いは議会派が圧倒的に勝利し、国王チャールズ1世は処刑され、共和政のイングランド共和国が樹立します。
しかしその後、クロムウェルによる独裁政権へと変化してしまい、民衆の反感を買った共和政のイングランド共和国は破綻。クロムウェルの没後間もない1660年に、王政復古によって王政に戻ります。

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オランダの窮地を救う!ウィリアム3世・オランダ総督としてフランスを撃退

ウィリアム3世は1650年11月14日、オランダ総督ウィレム2世とイングランド王チャールズ1世の娘メアリー・ヘンリエッタ・ステュアートの間に生まれます。しかし、父であるウィレム2世はウィリアム3世が生まれる8日前に流行病を原因にこの世を去ってしまいます。

生まれたばかりのウィリアム3世は総督にはなれません。議会では派閥争いが起こっている中、2度のイギリスとの戦争を経験します。そして1672年、フランス王国の軍がオランダに侵攻し、オランダ侵略戦争が始まりました。ルイ14世による、ブルボン王朝最盛期のフランスが相手となり、オランダは危機的状況となってしまいます。

オランダの大半が占領され、危機に陥ったオランダの民衆は、対策を立てられない政府への怒りから21歳のウィリアム3世を総督にしようと動き出し、民衆の支持によってウィリアム3世はオランダ総督として選出されます。民衆の政府への反感は収まらず、指導者だったコルネリス兄弟が虐殺され、それに代わりウィリアム3世がオランダの指導者となるのです。

ウィリアム3世はオーストリアやドイツ諸侯、スペインなどと同盟を結び反撃に打って出ます。何度かの交戦の後、1674年2月にイングランドとオランダが和睦し、イングランドが戦線から離脱、ついにはフランス軍を撤退させます。

その後、1678年にウィリアム3世が率いるオランダは、ナイメーヘンの和約で領全土を奪回します。オランダの窮地を救ったウィリアム3世は英雄となったのです。

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プロテスタントVSカトリック・無血の名誉革命

ウィリアム3世肖像画

一方、市民革命後のイギリスではクロムウェルによる厳格な政治が行われていましたが、クロムウェルの没後、チャールズ1世の息子のチャールズ2世が国王となり再び王政に戻ります。チャールズ2世の死後、1658年にウィリアム3世の叔父であるジェームス2世が国王に就任します。

当時のイギリスはプロテスタントが主流とされていましたが、ジェームス2世は熱烈なカトリック教徒であり、カトリックの復活を推し進めようとします。プロテスタントの大臣を政界から追放するなど、兄以上の暴政を働きました。

この暴政により、プロテスタントである議会から反感を買い、議会と国王が対立する形となりました。そんな中オランダでは、ウィリアム3世がフランスに対抗するためイギリスとの関係修復を図り、イギリス国王ジェームズ2世の娘、メアリー2世と結婚します。

イギリス議会では、息子のいないジェームズ2世の後継者候補として、長女メアリー2世が上がっていました。メアリー2世は母がプロテスタントであり、彼女自身もプロテスタントとして育てられていたからです。

しかし、1688年6月に、ジェームズ2世と王妃メアリーとの間に王子、ジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアートが生まれます。これによりジェームズ2世はカトリックの支配を続けることを意図しました。これを受けて、議会はジェームズ2世との対決を決意、ウィリアム3世とメアリー2世の二人を招聘し、イギリスに上陸させようとします。

それを受けてウィリアム3世は、オランダ軍を率いて東進します。これに対してイギリス軍内部では、ジェームズ2世への不服従が広がり、軍はオランダ軍に対する戦意を見せませんでした。その後も指揮官がオランダに寝返ったり、ジェームズ2世の次女がウィリアム3世の元に亡命したりするなど、ジェームズ2世は孤立していきました。

戦意を喪失したジェームズ2世は、反撃せずにフランスに亡命。ウィリアム3世はジェームズ2世退去後のロンドンへ入りました。1689年2月に議会が招集され、ウィリアム3世はオランダの総督も兼ねながらイギリス王にも即位することになりました。

この変革を、内乱も大虐殺もなく国王交代を実現し、ほとんど死者を出すことなくイギリスを守った「名誉革命」と呼びます。

名誉革命でのオランダ総督としての目的は?

イギリスの議会にお願いされる形でイギリスに赴いたウィリアム3世ですが、彼にもオランダ総督としての目的がありました。オランダをフランスの侵略から守るために、イギリスを反フランス路線に引き込んだのです。太陽王と言われたフランスのルイ14世がジェームズ2世と結託し、共同でオランダに脅威を与えるのを防ぐために、イギリスとの関係修復を図りました。

ウィリアム3世が亡くなった1702年にイングランド、スコットランド、アイルランドの3つの国の女王として即位したアン女王ですが、その夫であるジョージも海軍総司令官の地位を与えられています。しかし、あくまでも女王の夫という立場であったことから実際に統治者として政治を行ったのはアン女王だけだったとされています。


不在中のオランダをフランスに攻め込まれないよう、軍備とオランダの守備、フランスの動向を見極めてからイギリス遠征計画を実行します。こういった背景から、オランダ主導によるイギリス侵略という側面を強調して解釈する歴史書もあります。

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立憲君主制の原点・ウィリアム3世とメアリー2世が作り上げた議会政治

名誉革命を完成させたウィリアム3世は妻メアリー2世と共にイギリス国王になりました。1689年、二人は議会より提出された「権利の証言」を認め、「権利の章典」を公布しました。これにより、国王の権利が制限され、イギリスの議会政治の原則が確立したと言えます。議会政治とは、国民の意思の代表機関である議会が国政を行うことを基本とする政治形態のことを指し、国王による独裁や専制政治を抑えることを目的としています。

権利の章典には国王をトップにすることを前提に、議会と国民に権利と自由が明確化されています。議会の主導により国民の生命と財産の保護が定められ、今のイギリスにも繋がる立憲君主制の原点になりました。

ウィリアム3世自身、政治には関心が薄かったため、「王は君臨するが統治しない」と宣言し、王位に対する議会の優位を認め、立憲政治を進めていきます。このウィリアム3世の思想により、イングランド銀行の設立や出版の自由の促進など、議会を中心にした政治が稼働します。

共同統治を記念して鋳造されたウィリアム&メアリー金貨

イングランドでメアリー2世とオランダ総督ウィリアム3世の共同統治を祝して発行されました。
品位K22の金貨で質量は約41.7g(5ギニー)です。こちらのコインのデザインは手前の左側がウィリアム3世、奥である右側がメアリー2世の共同統治をあらわしたダブル・ポートレート。 共同統治が始まってから3年後の1691年から1694年まで発行されました。メアリー女王の在位期間は1689年から1694年まででした。

単独政治後も発行・ウィリアム3世ギニー金貨

こちらのウィリアム3世金貨は品位K22の金貨で質量は約41.7g(5ギニー)の点は同じです。コインのデザインは月桂冠を戴冠したウィリアム3世の肖像が描かれいます。裏面はイギリス・スコットランド・フランス・アイルランドの紋様が刻まれており、中心にライオンと4本の笏が描かれています。1699年から1701年の3年間発行されました。 1701年に発行された金貨はFine Works(ファインワークス)と言われていてコインの仕上りの彫りの深さや精巧さが特徴のより美しいコインでコレクターに大変人気があります。

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ウィリアム3世コイン買取は価値のわかる金貨買取本舗へ

如何でしたでしょうか?ウィリアム3世の半生と金貨についてお話をしました。

また1875年にオランダでウィリアム3世の10ギルダー金貨も発行されました。1702年に崩御されたので、没後約170年後のコインです。こちらは品位K21.6の金貨で質量は6.7gです。オランダでの呼び方はウィレム3世だったため、ウィレム3世金貨と呼ばれています。こちらの金貨もお取り扱いがございます。

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2019-06-07 17:51:34

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