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2024年に発行される新紙幣を中心にお札について探ります

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2024年に発行される新紙幣を中心にお札について探ります

2024年の上半期(4~9月)に、20年ぶりに新紙幣が発行されます。新たな紙幣に登場する人物は誰なのか?また、これまでの紙幣にはどんなものがあったのか?など、お札についていろいろ探っていきたいと思います。


新紙幣を飾る肖像画の人物たちに迫る!

2024年に発行される新紙幣には、新たな3人の人物の肖像が印刷されます。

まず一万円札はこれまでの福沢諭吉から、「日本経済の父」と呼ばれる渋沢栄一へ、五千円札は樋口一葉から津田塾大学創始者である津田梅子へ、千円札は野口英世から国内外での伝染病予防と治療に貢献した北里柴三郎へとバトンタッチ。

ここでは、新紙幣の顔となる3名がどんな人物なのかを紹介します。

・渋沢栄一ってどんな人?

渋沢栄一 (Wikipediaより画像引用)

渋沢栄一は幕末から昭和初期に500以上もの企業の創業に関わり、日本経済の基礎を築いた実業家です。

天保11年(1840年)、埼玉県深谷市の裕福な農家に生まれた栄一。

幼い頃から家業である藍玉の仕入れ、販売などを手伝い、この時の経験が後の現実的な合理主義思想の形成に繋がったともいわれています。

一方で父から学問を受け、7歳の時には従兄の尾高惇忠の元へ通い、「論語」や「日本外史」などを学びました。

文久元年(1861年)、江戸に出て海保漁村の門下生に。

この頃尊皇攘夷の思想に目覚め、文久3年(1863年)従兄弟である尾高惇忠や渋沢喜作らと、高崎城を乗っ取り横浜外国人居留地を焼き討ちにしたのち、長州藩と連携して幕府を倒すという計画を立てます。

しかし、同じく従兄(惇忠の弟)の尾高長七郎の懸命な説得によってこれを中止にします。

慶応2年(1866年)12月、主君の慶喜が将軍となったことに伴って幕臣となります。
そして1867年に行われるパリ博覧会を視察することに。栄一はここで語学や諸外国事情を学び、近代社会のありように感銘を受けます。

帰国後、日本で最初の株式会社制度「商法会所」を明治2年(1869年)1月に静岡に設立し、その後明治政府に仕官します。

大蔵省を退職した栄一は明治6年(1873年)、日本最初の銀行「第一国立銀行」(現:みずほ銀行)を創業。

同年、大蔵省在職時から計画を練っていた抄紙会社(現:王子ホールディングス、日本製紙)の設立認可を得て、経営を開始。また同年、東京府の瓦斯掛(現:東京ガス)の委員となりガス事業を計画。

このように数々の事業を展開していき、結果その数は500にも上りました。

・津田梅子ってどんな人?

津田梅子 (Wikipediaより画像引用)

女性の自立について追及し続け、現在の女性の地位を築き上げた信念の人、津田梅子。

元治元年(1864年)、東京都新宿区に生まれた梅子。

父の仙は幕府外国奉行通弁などの仕事をしていたこともあり、アメリカに渡った経験などから女子教育の必要性を感じ、梅子を留学に行かせることにします。
そして明治4年(1871年)、まだわずか6歳だった梅子は、「岩倉使節団」に随行して渡米します。

ワシントンに到着した梅子は、日本弁務館書記で画家のチャールズ・ランマン夫妻の家に預けられることに。

そこで英語やピアノを学びはじめ、自らの意思で洗礼を受けます。

なお、このとき出会った山川捨松(後の大山捨松)、永井繁子(後の瓜生繁子)とは生涯の付き合いで、梅子が後に「女子英学塾」(現:津田塾大学)を設立する際にも2人の助力がありました。

結局、梅子は11年という歳月をアメリカで過ごしたのでした。

そうして帰国した日本は、女子高等教育の必要性がまだ重視されておらず、女性のための働き口がほとんどない状態でした。
これにカルチャーショックを受けた梅子は、「日本女性の地位を高めなければ」という思いと、そのために自ら働きたいという思いを強く持ちました。

その後、梅子は伊藤博文の家の家庭教師を経て、明治18年(1885年)に華族女学校の英語教師に就任します。
そして、学校に在籍したまま再度アメリカへ留学。ブリンマー大学で生物学を学び、その傍らで「日本婦人米国奨学金制度」を設立しました。

帰国後、ふたたび華族女学校に勤め、明治女学院でも教壇に立った梅子は、明治33年(1900年)いろいろな人の協力を得てついに「女子英学塾」を創設。少人数制でレベルの高い教育を目指した、梅子が10代の頃から思っていた女性の社会進出を後押しする学び舎となりました。

・北里柴三郎ってどんな人?

北里柴三郎 (Wikipediaより画像引用)

細菌学の分野で多大な功績を上げた、近代日本医学の父・北里柴三郎。

嘉永5年(1853年)、熊本県阿蘇郡で代々庄屋を務める家に生まれた柴三郎。

明治4年(1871年)に熊本医学校(現:熊本大学医学部)に入学した柴三郎は、教師のマンスフェルトから医学の世界を教えられ、それをきっかけに医学の道に目覚めることになります。

明治7年(1874年)には、東京医大学(現:東京大学医学部)に入学。在学中に「医者の使命は病気を予防することにある」と確信するに至ります。

そして明治16年(1883年)、大学を卒業後医学者、長與專齋が局長だった内務省衛生局へ就職。明治18年(1885年)からの6年間はドイツのベルリン大学へ留学することになります。
そして、そこで病原微生物学研究の第一人者とされるロベルト・コッホに師事して研究に励みました。

明治22年(1889年)に破傷風菌の純粋培養に成功し、翌年にはその毒素に対する免疫抗体を発見。それを応用して血清療法を確立させました。

血清療法は破傷風菌だけでなくジフテリアにも応用でき、ジフテリアの純粋培養に成功したエミール・フォン・ベーリングと連名の論文「動物におけるジフテリアと破傷風の血清療法について」を発表。
これらの功績によって柴三郎は研究者としてその名を世界に轟かせることとなりました。

明治25年(1892年)、帰国後に福沢諭吉らの援助を受け、私立伝染病研究所(現:東京大学医科学研究所)を設立。

翌年には日本初となる結核の専門病院、土筆ヶ丘療生園を設立し、結核予防と治療にも励みました。
また、明治27年(1894年)にペストが蔓延した香港へ原因を突き止めるため訪れ、病原菌であるペスト菌を発見するという大きな業績を上げました。

大正3年(1914年)、伝染病研究所所長を辞任した柴三郎は私立北里研究所を設立し、狂犬病、赤痢、インフルエンザ、発疹チフスなどの血清開発に取り組みました。

福沢諭吉没後の大正6年(1917年)、慶應義塾医学所が廃校になってから37年後、慶應義塾は国から医学科設置を許可され、慶應義塾大学部医学科が誕生しました。

柴三郎は福沢からの多大なる恩義に報いるため、医学科学長に自ら進んで就任。終生無給で慶應義塾大学医学部の発展に尽力しました。

3人とも日本の進化に多大なる影響を与えた人物ですね。まさに紙幣を飾るにふさわしい偉人たちです

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現在の紙幣と異なるポイントとは?

新紙幣はこれまでの紙幣よりも金額の数字が大きく印刷されており、とても見やすくなっています。

現在の紙幣は表面に漢字で壱万円、五千円、千円と書かれていますが、新紙幣は10000、5000、1000と数字表記に。漢字表記での金額は数字の上に小さめに書かれています。

また、指の感触でお札の種類がわかるよう工夫されているといいます。

こうした「ユニバーサルデザイン」が取り入れられているのが1つの特徴です。
偽造防止に入れられた「すき入れ(すかし)」もより高精細に、ホログラムに至っては人の顔が角度によって左右に動いて見えるような、最新技術を用いたものになっています。

2014年の新紙幣の発行に向けて、すでに印刷が開始された新1万円札。

自動販売機やATMなども全国的に徐々に新紙幣対応に変わっていきます。
新紙幣発行までまだあと2年半ほどありますが、早く実物に触れてみたいものですね。

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これまでの紙幣を振り返るとある1人の人物が……

ここからは、過去に発行されてきた紙幣について触れていきます。

皆さんはお札というと誰を連想しますか?やはり40年間1万円札の顔だった福沢諭吉でしょうか?

でもちょっと待ってください!福沢諭吉よりも長い間1万円札に君臨し、しかも遥か昔から何度も紙幣に取り上げられている人物がいるんです。

それは誰かというと……聖徳太子です!昭和59年(1984年)に福沢諭吉が1万円札になる前は、聖徳太子が1万円札の顔でした。しかも、当時5,000円札の肖像も聖徳太子だったのです。

さかのぼって、聖徳太子が初めて登場した紙幣から順を追って紹介していきましょう。

昭和5年発行、兌換券100円が記念すべき初登場。お札には聖徳太子と夢殿が描かれていました。

2枚目は昭和19年(1944年)発行の不換紙幣100円。図柄は1枚目の兌換券100円とほぼ変わらずでした。
3枚目は昭和20年(1945年)発行の改正不換紙幣100円。今までお札の右側にいた聖徳太子が中央にレイアウトされました。4枚目は昭和21年(1946年)発行の日本銀行券A号100円。

またデザインが兌換券100円や不換紙幣100円とほぼ同じに戻ります。
ここまで、現在流通している紙幣とはサイズが違うお札だったのですが、5枚目からは横長のなじみがあるサイズになります。

昭和25年(1950年)発行の日本銀行券B号1,000円。新たに描き起こされた聖徳太子はどこかふっくらしていて健康的です。

6枚目は昭和33年(1958年)発行の日本銀行券C号10,000円。
皆さん聖徳太子といえばこのお札を想像するはずです。5枚目よりクッキリと陰影が濃く聖徳太子が描かれています。

ラストの7枚目は昭和32年(1957年)に発行された日本銀行券C号5,000円。
このお札は中央に聖徳太子が配置されています。このときが、1万円札と5,000円札両方とも聖徳太子のお札だったときですね、

……と、全部で7枚もの紙幣に登場してきた聖徳太子。
まさに日本紙幣の顔と言っても過言ではないでしょう。
今後、聖徳太子を超える人物は現れるのか?
いつかまた聖徳太子が紙幣に復活するときが来るのか?新紙幣が発表されたばかりの今、その先の紙幣のことを考えるのは気が早い話ですが、あれこれ想像してみるのも楽しいですよね。

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2024年に発行される新しい紙幣と日本紙幣の歴史についてお話をしましたが如何でしたでしょうか?

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2021-09-24 12:00:52

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