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金価格の歴史 現代の金価格変動編①―第1次金価格バブル

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昨今、歴史的な高値を更新し続ける金価格。しかし、このような熱狂的な高騰は、実は今回が初めてではありません。現代における金価格の大きな変動期は、これまでに大きく3回あったと考えられています。

その記念すべき(?)第1回目といえるのが、1970年代末から1980年初頭にかけて発生した『第1次金価格バブル』です。当時の日本における金価格は、わずか数年のうちに数倍にまで跳ね上がり、社会現象にまでなりました。

ここからは、金価格の歴史における最初の大きなうねりである第1次バブルが、どのような世界情勢の中で生まれ、そして弾けていったのか、その軌跡を詳しく紐解いていきましょう。

1970年代後半の世界情勢と金市場の変化

1970年代後半から1980年代初頭にかけての金価格暴騰は、単発的な市場現象ではなく、世界情勢の根本的変化によってもたらされた構造的な転換期でした。

この時期の金市場変化を理解するためには、国際通貨制度の変革と日本における投資環境の激変という、二つの重要な背景を把握する必要があります。

ブレトン・ウッズ体制の終焉がもたらした変革

1971年8月15日、ニクソン大統領による突然のドルと金の交換停止宣言は、戦後27年間続いたブレトン・ウッズ体制に終止符を打ちました。

この金本位制終了により、それまで1オンス35ドルに固定されていた金価格は、市場の需給によって決まる変動相場制へと移行したのです。

金・ドル本位制の崩壊は、金を再び重要な投資対象として位置づけることになり、1970年代を通じてその価格は大幅な上昇を見せることになりました。

変動相場制移行後の金市場は、通貨システムの不安定化とインフレ圧力の高まりを背景に、投資家が安全資産としての金への関心を急速に高めていきました。

この構造変化こそが、1980年の史上最高値達成へと続く第1次金価格バブルの基盤を形成したのです。

金輸出自由化と日本の投資環境の激変

日本における金市場の大きな転換点は、1978年4月に実施された金輸出自由化でした。

それまで日本銀行が国内生産金をすべて買い上げ、その一部のみを装飾品用として供給していた制度から、金が一般的な投資対象として広く認識される環境へと劇的に変化したのです。

1978年の金輸出自由化により、個人投資家も金投資に参加できるようになり、日本の金市場は本格的な投資市場としてスタートを切りました。

この制度変更のタイミングは絶妙でした。金輸出自由化の直後から世界各地で地政学的危機が連続して発生し、「有事の金」としての需要が急激に拡大していったのです。

1977年の金価格が1,355円であったのに対し、わずか3年後の1980年には6,495円という史上最高値を記録することになります。

第二次オイルショックと地政学的リスクの連鎖

1979年は、現代史においても稀に見る激動の一年でした。

この年に連続して発生した三つの重大な地政学的事件が、世界経済と金市場に決定的な影響を与えたのです。

第二次オイルショックの引き金となったイラン革命、中東情勢をさらに悪化させたテヘラン大使館占拠事件、そして東西冷戦を再び激化させたソ連のアフガニスタン侵攻は、相互に影響し合いながら地政学的リスクを極限まで高めました。

イラン革命が引き金となった中東危機

1979年2月、イランにて、パフレヴィー王朝の独裁政治に対する民衆の蜂起により、イラン革命が成功しました。

世界第2位の産油国であったイランでは、革命の混乱により石油生産が激減し、一時的に輸出が完全に停止する事態となったのです。革命政権による石油国有化政策と生産量削減により、世界的な原油不足が発生しました。

この石油危機は、1973年の第一次オイルショックをはるかに上回る規模となり、原油価格は3年間で約2.7倍という驚異的な上昇を記録しました。

OPECもイランの方針に同調して増産に慎重な姿勢を示したため、世界規模でのエネルギー不安が高まり、インフレ圧力が急激に強まったのです。

ソ連のアフガニスタン侵攻と東西冷戦の激化

1979年12月24日、ソ連軍が突如としてアフガニスタンに軍事侵攻を開始しました。

ソ連側のブレジネフ政権は親ソ派政権の支援を名目としていましたが、この行動は1970年代を通じて続いていたデタント(東西緊張緩和)に決定的な終止符を打つことになりました。

ソ連のアフガニスタン侵攻に対し、アメリカをはじめとする西側諸国は強く反発し、新冷戦とも呼ばれる対立構造が復活したのです。

この軍事行動は、単なる地域紛争を超えて、グローバルな安全保障体制への深刻な脅威として受け止められました。投資家たちは、東西冷戦の再燃により世界的な軍事的緊張が高まることを懸念し、安全資産である金への投資を急速に拡大させていきました。

テヘラン大使館占拠事件の衝撃

1979年11月4日、イランの首都テヘランでアメリカ大使館占拠事件が発生しました。

イスラム革命防衛隊率いる学生らがアメリカ大使館を占拠し、52人の館員を人質に取ったこの事件は、444日間という長期にわたって続きました。

この大使館占拠事件により、アメリカとイランの関係は決定的に悪化し、中東情勢は一層不安定化したのです。

三つの地政学的危機が短期間に連続して発生したことで、世界の投資家心理は極度に悪化しました。

政治的混乱とエネルギー危機、そして軍事的緊張の三重苦により、安全資産としての金に対する需要が爆発的に高まり、1980年の史上最高値達成への道筋が作られたのです。

史上最高値6,495円達成への軌跡

1979年から1980年にかけての金価格の上昇は、まさに史上類を見ない激動の時期でした。

わずか1年間で1,550円から6,495円へと実に4.2倍という驚異的な暴騰を記録し、1980年1月21日に史上最高値を達成したのです。

この記録は、その後40年間にわたって破られることのない金字塔となりました。

インフレ圧力と安全資産への資金大流入

第二次オイルショックによる原油価格の急騰は、世界規模で深刻なインフレ圧力をもたらしました。

米国では消費者物価指数が13.3%という異常な水準に達し、日本でも7.8%の高いインフレ率を記録したのです。このインフレ環境下で、投資家たちは実物資産として「有事の金」への資金シフトを急激に拡大させました。

特に産油国は、原油売却により獲得したドル資金の目減りを防ぐため、安全資産である金を大量購入したのです。

オイルマネーの流入により、金への投資需要は従来の枠を大きく超えて膨らみ、価格を押し上げる強力な要因となりました。

投資家心理とパニック買いのメカニズム

地政学的リスクの連鎖により、投資家心理は極度に悪化していました。

ソ連のアフガニスタン侵攻、イラン革命、テヘラン大使館占拠事件という三つの危機が同時期に発生したことで、世界各地の投機筋が金市場に殺到したのです。投機筋の参入により、金価格の上昇スピードはさらに加速し、パニック買いの様相を呈しました。

当時の金市場では、価格上昇が新たな買いを呼ぶという投機的な循環が発生していました。

1979年1月の時点で236.10ドル(円建て1,550円)だった金価格が、わずか12か月後には850ドル(円建て6,495円)という史上最高値に到達したのは、まさにこのパニック買いメカニズムが機能した結果だったのです。

バブル崩壊と急激な価格下落の真相

史上最高値6,495円を記録したわずか4か月後の1980年5月、金価格は3,645円まで約44%もの急激な価格下落を見せました。

この劇的な変化は、金市場を支えていた根本的な要因が短期間で一変したことを示しています。

バブル崩壊の背景には、地政学的リスクの後退と原油市場の構造変化という二つの重要な要素がありました。

米ソ緊張緩和とドル基軸通貨の信頼回復

1980年代前半に入ると、ソ連のアフガニスタン侵攻による東西冷戦の激化は徐々に沈静化していきました。

国際的な軍事的緊張の緩和により、投資家たちの地政学的リスクに対する懸念が大幅に後退したのです。同時に、レーガン政権による強いドル政策とアメリカ経済の回復により、基軸通貨としてのドルへの信頼が着実に回復していきました。

ドル信頼回復の過程で、それまで金に集中していた資金が再びドル建て資産へと大規模に流れ戻りました。

「有事の金」として機能していた投資需要が急速に萎んだことで、金価格は支えを失い、長期下落トレンドに突入することになったのです。

原油相場安定化と金需要の急速な後退

金価格下落のもう一つの重要な要因は、原油相場の安定化でした。第二次オイルショック後の高い原油価格を受けて、非OPEC諸国による石油開発が活発化し、北海、メキシコ、アラスカなどから大量の石油が供給されるようになったのです。

結果、1983年3月にOPECは史上初めて原油価格の大幅な値下げを決定し、1バレル34ドルから29ドルへと5ドルの引き下げを実施しました。

この原油相場安定化により、インフレ圧力が大幅に緩和されました。金と原油価格は一般的に同方向に動く傾向があるため、原油価格の下落は金市場にとって強力な下押し圧力となったのです。

1980年代を通じて石油の供給過剰状態が続いたことで、金への投資需要は急速に後退し、1980年代から1990年代にかけて約20年間にわたる長期下落トレンドの始まりとなりました。

まとめ

1980年に発生した第1次金価格バブルは、金価格の歴史において極めて重要な転換点でした。

ブレトン・ウッズ体制の終焉、第二次オイルショック、そしてイラン革命やソ連のアフガニスタン侵攻といった地政学的リスクの連鎖が、「有事の金」としての需要を爆発的に高め、史上最高値6,495円という記録的な価格を形成しました。

しかし、その後の米ソ緊張緩和やドル基軸通貨の信頼回復、原油相場の安定化によってバブルは急速に崩壊し、金価格は長期的な下落トレンドへと移行しました。

この歴史的変動は、金価格が国際情勢や経済構造の変化にいかに敏感に反応するかを如実に示しており、現代の金投資を考える上で不可欠な教訓を与えてくれます。

次回 現代の金価格変動編②―1980年代の調整期

次回の記事「金価格の歴史 現代の金価格変動編②―1980年代の調整期」では、第1次金価格バブル崩壊後の長期下落トレンドと、プラザ合意による円高進行が金市場に与えた影響を詳しく解説いたします。

史上最高値から20年間続いた調整期がどのような要因で形成され、現代の金投資にどのような教訓をもたらしているのか。ぜひ次回の記事で、金価格の歴史における重要な転換期をお楽しみください。

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