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1980年代の熱狂的な高騰から一転、1990年代の金価格は長い冬の時代を迎えました。
バブル崩壊、冷戦の終結、そしてITバブルの到来。歴史の大きなうねりの中で、金の価値はかつてないほどの下落を記録します。
本記事では、金価格が1グラム865円という史上最安値を記録した「失われた10年」を振り返り、その歴史的背景と要因を深く掘り下げていきます。
現代の金価格を理解する上で、この激動の1990年代を知ることは、未来の金価格を読み解く鍵となるでしょう。
1990年代開始時点の金価格状況と下落の始まり
1990年という年は、金価格の歴史においても重要な転換点でした。
1980年代の金価格は、1980年1月に1グラムあたり2,182円という史上最高値を記録した後、徐々に調整局面を迎えていました。1990年に入ると、金価格は1グラム1,589円から始まり、世界経済の構造変化に直面していました。
この時期の下落要因は複合的なものでしたが、特に日本のバブル崩壊と東西冷戦の終結という二大要因が、金市場に劇的な変化をもたらしました。
これらの歴史的事件は、金に対する投資家の見方を根本的に変えることになります。
日本のバブル崩壊が金市場に与えた影響
1989年末の日本銀行による金利引き上げをきっかけに、日本経済はバブル崩壊の道を歩み始めました。1991年には地価と株価の暴落が本格化し、日本は「失われた10年」と呼ばれる長期低迷期に突入します。
バブル崩壊は金価格にも深刻な影響を与えました。
日本は当時、世界有数の金消費国であり、宝飾品需要の大部分を占めていました。経済停滞により個人消費が急速に冷え込み、金の実需が大幅に減少したのです。
さらに、日本の金融機関は資産デフレによる損失を補填するため、保有していた金を大量に売却しました。1991年には金価格が1グラム1,300円台まで下落し、バブル経済の終焉と共に金価格も調整局面に入ったことが明確になりました。
東西冷戦終結による地政学リスクの消失
長年にわたり金は「有事の金」として、地政学的緊張の高まりと共に買われる安全資産の代表格でした。
しかし、1989年のベルリンの壁崩壊に始まり、1991年のソビエト連邦解体まで続いた冷戦終結は、金市場にとって歴史的な転換点となりました。
東西対立という根本的な地政学リスクが消失したことで、金の安全資産としての価値が大幅に見直されたのです。核戦争の脅威が遠のき、世界的な軍縮ムードが高まる中で、投資家は金よりも成長性の高い株式や債券に資金を向け始めます。
特に旧ソ連諸国からの金の大量流出も価格下押し要因となりました。政治体制の変化により、これまで市場に出回らなかった金が大量に売却され、供給過剰状態を作り出しました。
冷戦終結という平和の配当は、皮肉にも金価格の長期下落トレンドの引き金となったのです。
1990年代中期:長期下落トレンドの加速要因
1990年代前半の下落要因に続き、1990年代中期には金価格をさらに押し下げる構造的要因が顕在化しました。
特に1990年代中期から後半にかけて、各国中央銀行による組織的な金売却と、アメリカ経済の好調による株式市場への大規模な資金流入という二大要因が、金価格の長期下落トレンドを決定づけることになります。
これらの要因は単独でも金価格に大きな影響を与えるものでしたが、同時期に重なったことで金市場に前例のない売り圧力をもたらしました。
1990年代の金価格下落は、単なる景気循環による調整ではなく、金を取り巻く環境の根本的な変化を反映していたのです。
各国中央銀行による大規模な金売却の影響
1990年代中期以降、欧州を中心とした各国中央銀行が相次いで金準備の大幅な削減に乗り出しました。
ベルギー中央銀行は1996年から1998年にかけて保有金の大部分を売却し、オランダ中央銀行も同様の動きを見せました。
これらの中央銀行による金売却の背景には、冷戦終結後の地政学リスクの低下と、金利を生まない金よりも収益性の高い資産への投資志向がありました。また、欧州統合に向けた財政健全化の必要性も、金売却を後押しする要因となりました。
中央銀行の売却は市場に年間数百トンという大量の金を供給し、需給バランスを大きく崩しました。民間投資家による需要だけでは、この供給過剰状態を吸収することは困難であり、金価格は構造的な下押し圧力にさらされることになりました。
米国経済好調とITバブルによる株式市場への資金流入
1990年代中期から後半にかけて、アメリカ経済は『ニューエコノミー』と呼ばれる空前の好景気を迎えました。インターネットの普及とIT関連技術の革新により、従来の経済常識を覆すような高成長が続いたのです。
この時期の株式市場は、特にナスダック市場を中心として驚異的な上昇を記録しました。
マイクロソフト、インテル、シスコシステムズといったIT関連企業の株価は、1990年代後半だけで数倍から数十倍に上昇し、投資家の注目を一身に集めました。
このITバブルの影響で、投資資金は金のような伝統的な安全資産から、高い成長性を期待できる株式市場へと大量に流入しました。『有事の金』という概念は色あせ、投資家は『成長の株式』に熱狂したのです。
金価格が1990年代を通じて長期下落を続けた背景には、このような投資家の資産選択の変化が大きく影響していました。
史上最安値865円への道のり(1996-1999年)
1990年代後半は、金価格の歴史において最も劇的な下落を記録した時期でした。
それまでの長期下落トレンドがついに1000円の大台を割り込み、1999年9月には1グラムあたり865円という史上最安値を記録することになります。この期間は、金に対する投資家の認識が根本的に変わった転換点でもありました。
しかし、この史上最安値の記録と同時に、金価格の長期上昇トレンドの出発点も生まれました。
1999年9月のワシントン協定締結により、中央銀行による無秩序な金売却に歯止めがかかり、金市場は新たな局面を迎えることになったのです。
1996-1998年:1000円台突入と市場心理の変化
1996年、金価格はついに心理的な節目である1000円台に突入しました。
この1000円割れは、金市場における投資家心理に決定的な変化をもたらしました。それまで『安全資産の代表格』として認識されていただけに、多くの投資家にとって衝撃的な出来事でした。
この時期、アメリカ経済は空前の好景気にあり、ナスダック市場を中心とした株式投資への資金流入が加速していました。
投資家は金よりも高い収益を期待できる株式や債券に資金をシフトさせ、金は『時代遅れの投資対象』とまで言われるようになったのです。
1998年には金価格がさらに下落し、年間平均で900円を下回る水準まで沈みました。このような状況下で、金の実需も大幅に減少し、宝飾品需要や工業需要ともに低迷が続きました。市場では『金の時代は終わった』という悲観論が支配的になっていました。
1999年9月:史上最安値865円の記録とその要因
1999年9月、金価格は1グラムあたり865円という現在まで破られていない史上最安値を記録しました。この最安値は、複数の下落要因が同時に重なったことで実現した歴史的な底値でした。
この最大の要因は、前述した中央銀行による大規模な金売却の継続にありました。
1990年代を通じて欧州各国の中央銀行が保有金を売却し続けた結果、市場は慢性的な供給過剰状態に陥っていました。また、アメリカのITバブルが最高潮に達し、投資資金が株式市場に集中していたことも金価格を押し下げる要因となりました。
さらに、この時期は世界的に地政学的リスクが低く、『有事の金』としての需要も限定的でした。冷戦終結から約10年が経過し、平和配当による経済成長への期待が高まっていたのです。
しかし、皮肉にもこの史上最安値の記録が、金価格の長期上昇トレンドの起点となることになりました。
同月、ワシントン協定が締結され、中央銀行による金売却に制限が設けられたことで、金市場は新たな転換点を迎えることになります。
まとめ
1990年代の金価格下落は、世界情勢の根本的変化を反映した歴史的現象でした。バブル崩壊、冷戦終結、中央銀行による大量売却、そしてITバブルへの資金流入という複合要因により、金価格は1999年9月に865円という史上最安値を記録しました。
しかし、この「失われた10年」は同時に金価格の長期上昇トレンドの出発点でもありました。
ワシントン協定により金売却に歯止めがかかり、2000年代以降の金価格高騰の基盤が築かれたのです。
次回 現代の金価格変動編④―2000年代の金価格復活
次回の記事「金価格の歴史 現代の金価格変動編④―2000年代の金価格復活」では、1999年の史上最安値865円から一転、2000年代に始まった金価格の劇的な復活劇を詳しく解説いたします。
ITバブル崩壊、9.11テロといった危機的状況下で、金が再び「安全資産の王者」として注目を集める過程をお伝えします。1990年代の「失われた10年」を経験した金が、なぜ2000年代に息を吹き返したのか。
ぜひ次回の記事で、その復活の物語をお楽しみください。
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