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「大判」「小判」は安土桃山時代から江戸時代までを通じて流通していた金貨です。
大判や小判の日本の古い貨幣は金貨としての知名度が世界的にも高く、希少価値がある金貨として取引されています。
豊臣秀吉の後を継いで全国統一した徳川家康は名目などを定め、「大判」「小判」「一部金(いちぶきん)」の金貨と、「丁銀(ちょうぎん)」や「豆板銀(まめいたぎん)」の銀貨を鋳造して統一しました。
そして、三代将軍徳川家光の時代には銅貨「一文銭(いちもんせん)」が登場して、江戸時代における「三貨制度」を確立したのです。
ここでは、江戸時代に流通した「天保小判」の買取価格や、本物と偽物の見分け方を解説していますので、お役立てください。
江戸時代には慶長・元禄・宝永・正徳・享保・元文・文政・天保・安政・万延の10種類の小判が鋳造されました。
小判は金貨の一種として知られていますが、実際は金と銀の合金です。
金の資源には限りがあるため、幕府は基本的には新しい小判を鋳造するときには、古い小判を回収して鋳造し直す「改鋳(かいちゅう)」を行いました。
そのため、小判によって金の品位は違います。
天保小判は天保8年(1837年)7月21日から鋳造が始まった小判で、同年の11月15日より流通が開始されました。
その後天保小判は安政5年(1858年)までの約20年間流通しています。
小判の製造方法は、小判用金属板の「棹金(さおがね)」を作り、棹金を成型して小判の形にして、「色付け」をして鋳造します。
天保小判が登場するまでは、これらの工程は全て手作業で行われていましたが、天保小判以降はローラーを使用して鋳造するようになりました。
天保小判は、江戸時代に鋳造された8番目の小判で、初めてローラーを利用した鋳造作業が導入された小判です。
それまでの小判は金塊を叩いて薄く伸ばしていく製法で作られていたため、どうしても表面には凹凸がありましたが、ローラーを採用することで厚みも一定になりました。
天保小判は江戸時代初期の小判に比べると品位は低めですが、今までの小判とは違い、仕上がりが平坦で、表面が綺麗で滑らかなのが特徴です。
そして、丁寧に「色付け」されていて、鮮やかな金色をしており表面には「茣蓙目(ござめ)」と呼ばれる槌によって手作業で彫られた「槌目(つちめ)」があります。
「色付け」とは、表面に6種類の特殊な薬品を塗布して炭火で焼く方法です。
小判は金と銀の合金であるため、純金のように見せるためにこうした作業を何度も繰り返して、表面から銀のみを溶かして取り除きます。
小判はこのような表面処理作業をして、黄金の輝きを放つのです。
天保小判の重さと品位は以下の通りです。
重さ | 11.20g |
---|---|
品位 | 金56.77%、銀43.23% |
鋳造量 | 8,120,450両 |
表面は上下に扇状の桐紋の「五三桐」が刻まれていて、額面を表す「壹兩(いちりょう)」の文字と、製造責任者の「光次」の花押があります。
そして、裏面の左下には製造した小判師と吹所(金の製造工場)を示す「験極印」と、時代を示す「保」の刻印があるのが特徴です。
天保小判はこの「保」の刻印があるため、「保字小判」「保字金」とも呼ばれています。
天保小判を発行するに至った背景には、「天保の大飢饉」が影響しています。
1833年からの数年間は東北地方から関東地方までの広範囲で天候不順が重なり、凶作に見舞われました。
特に東北地方の被害は甚大で、民衆や野山に入り、木の実や草の根を食べて飢えをしのいでいたそうです。
これを受けて、江戸幕府は民衆の救済に努めますが収まらず、民衆の不満は高まるばかりでした。
この数年間に及ぶ凶作が原因で大飢饉が起こり、全国の死者は2万人~30万人に達したとの記録があります。
天保の大飢饉後は各地で農作物の価格が急騰して、全国で農民による一揆や打ちこわしが頻繁に起こるようになりました。
特に有名なのは大坂町奉行所の与力で陽明学者が起こした「大塩平八郎の乱」です。
大塩平八郎の乱は大坂町奉行所が豪商より米を買い占めて、江戸に送っていたことが発端です。
これは、新将軍となる徳川慶喜の就任儀式のためのもので、物価高で苦しむ民衆をよそに米を買い占める町奉行所や江戸幕府の対応に民衆が不満を持ち、反乱を起こしたのです。
このような社会情勢の中で、老中の水野忠邦は金融の引き締めや物価高の緩和を目指して「天保の改革」を行います。
この改革の中に、「天保の改鋳」も含まれています。
特筆すべきは天保の改鋳は、1ヵ月~2ヵ月の短期間で改鋳を成し遂げたことです。
その結果、さらなる物価高となり、そのため厳しい倹約令や上知令を施行したことで民衆や諸大名の反感を買い、水野忠邦はわずか2年で失脚します。
小判の価値は金としての価値だけではなく、歴史的価値や流通量により異なります。
天保小判の買取相場は5万円~300万円と非常に幅広いのが特徴です。
天保小判は金の含有量がそれほど多くはなく大量に発行されていて、多く出回っているため小判としての希少価値はそれほど高くなく、買取価格が10万円~20万円が一般的です。
しかし、見た目も綺麗で手軽に手に入る小判として古銭市場では人気があります。
中でも、デザインや刻印が鮮明に見て取れる「極美品」は価値があるため40万円~80万円の価格が付きます。
また、後ほどくわしくお話ししますが、天保小判の中でも『七福』の刻印があるものは、買取価格が高く、極美品になると300万円の買取価格が付くものもあります。
次に、「美品」は摩擦によりデザインがはっきりしないもので、買取価格は20万円前後です。
他には、買取では鋳造時の状態を保っている「未使用」や、僅かに流通しているが未使用に近い「準未使用」は非常に価値があります。
これらは高値で買取されていますが、滅多に市場に出ることはありません。
天保小判の表面には「五三桐」や「壹兩」「光次」が刻まれています。
そして、裏面には鋳造・検印した印の「験極印」が小判師と吹上それぞれに刻まれ、花押、時代印の「保」の文字があります。
また、中には裏面に「大吉」と刻まれているものもあり、縁起物として褒美や献上用として利用されていました。
献上用小判とは金座が将軍家や幕府官僚へ年始のあいさつや祝儀、御礼などで献上する小判のことで、一般的に流通しているものではありません。
また、縁起物ではありませんが、裏と表の極印の上下が逆さになっている「逆打」はミスによりできたものです。
何も知らなければ偽物と間違いそうですが、逆打は非常に珍しいため希少価値が高く、高価買取が期待できます。
次に、ここでは天保小判の献上用と、縁起物として価値がある天保小判について詳しく解説いたします。
小判師の部分に「大」、吹所の部分には「吉」と刻印された天保小判です。
献上用として意図的に鋳造されていることから「献上用大吉天保小判」と呼ばれています。
しかし、「大吉」という文字は初めから意図的に作られたのではなく、小判鋳造時に裏面の左下に験極印を刻印する際に、偶然に「大」と「吉」の刻印ができたのが始まりです。
「大吉」と記されている天保小判には「偶然大吉」と、「献上大吉」の2種類が存在します。
「偶然大吉」は主に享保以前の慶長や元禄、宝永、正徳で見られ、「献上大吉」は享保から天保に見られます。
「献上用大吉小判」は一般的に流通するものではなく、献上品として鋳造されていたため数が少なく、現在も縁起物として高値が付いています。
天保小判の裏面に刻まれている刻印は「大吉」の文字だけではありません。
他にも、「小吉」「堺長」「久長」「馬神」「守神」「久吉」の文字が刻まれている小判も存在します。
これらは『七福』と呼んで縁起物として江戸時代から現在も収集する人が多い、人気のある小判です。
七福と呼ばれるのは以下の通りです。
「七福神信仰」は室町時代の末期に京都より生じ、江戸時代の元文の頃より民間信仰として庶民に浸透しました。
江戸時代には庶民たちの間では、1月2日の初夢で一年の吉凶を占う習俗が広がりました。
そして、「枕の下に宝船に乗った七福神の絵を入れて眠ると、吉夢をみることができる」と信じられ、庶民は吉夢を見たいと願い、枕の下に七福神の絵を入れていたそうです。
こうしたことから天保の時代には七福神信仰が庶民の間でも流行し、それが小判に刻印されて人気を集めました。
天保小判は金の品位が高くありませんが、見た目の輝きと縁起物として好まれるため人気があり、偽物も多く出回っています。
そのため、本物と偽物の見分け方を知っておくことをおすすめします。
本物と偽物の見分け方は、大きく分けると「重さ」「表面」「刻印」の3つがポイントです。
こちらでは、本物と偽物の違いをそれぞれに解説したいと思います。
重さは小判の真贋の見分け方としては基本的な方法です。
小判は一枚に使用する金と銀の量が定められているため、重さはほぼ均一になっています。
天保小判の重さは11.20gで、11.15g~11.25gの範囲内であれば本物ですが、一方で、この数値から1g以上の誤差があれば偽物であると考えられます。
重さだけでは本物か偽物かを確定できませんが、明らかに重さが違っている場合はすぐに判ります。
一般的に小判の偽物は金や銀を使用せずに違う金属を使用します。そして、違う金属を使用すると当然重さが変わってくるため最も判りやすい見分け方だと言えるでしょう。
天保小判には表面に横線が全体に入っています。
これは「槌目」や「茣蓙目(ござめ)」と呼ばれるもので、手作業で彫られているため本物は彫りが浅くて、長さも不揃いです。
反対に偽物は機械で彫られているため、長さも均等で綺麗に彫られています。
次に質感です。
表面の質感が本物はマットで滑らかな感じですが、偽物はごわついているのが特徴です。
本物の金であるかを確認する手段に試金石を使って表面を削る方法がありますが、小判を試金石で削ってはいけません。
小判を削ると表面に傷が付き、本物であったとしても価値が大幅に下がるためです。
また、見た目を綺麗に見せるために小判を磨くのもNGです。
天保小判のような古い貨幣は自然のままの状態であることが重要で、価値があります。
そのため、布や洗剤を使って磨いたり洗ったりすると、手が加えられたものとして認識されるため価値が下がります。
劣化を防ぐには、空気に触れさせないことがポイントです。
小判専用のケースに入れておくか、もしくはジップロックなどに入れて空気を抜いて保存してください。
刻印を見る際にはまずは刻印の数を見てください。
本物の天保小判には表面に4つの刻印があります。
まず表面の「五三桐」が上下に2つ、「壹兩」が上に、そして下には「光次」の刻印がなくてはいけません。
裏面には中央に「花押」、左下にある「験極印」が必ず2つあり、右上には天保小判を表す「保」の文字が刻まれています。
これらの「極印」は正式に作られたものである証となるため、数が足りない場合は偽物である可能性大です。
また、本物は手作業で作られていたので刻印の文字や跳ねが細くなっていますが、それでもはっきりと文字が確認でき、極印の「保」はつくりの下の部分がカタカナの「ホ」に見えます。
一方で偽物は全て均等な太さになっていてはっきりと見えますが、均等で太いぶん文字や模様が潰れがちです。
刻印は細かく刻まれているので、肉眼では見分けることが難しく、正確に見分けるためにもルーペを使うとよいでしょう。
天保小判は金の品位は高くはないですが、ローラーを使用して鋳造しているため仕上がりが綺麗で滑らかなのが特徴です。
裏面には天保小判を示す「保」の刻印があり、験極印の刻印の組み合わせや状態によって価値が異なります。
真贋を見分ける際には「重さ」「表面」「刻印」を見て総合的に判断しますが、天保小判は人気があるため本物と偽物の判断が難しい偽物も存在します。
判断が難しい場合は、買取専門店に相談するとよいでしょう。
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