ブラジル独立150周年記念金貨について解説
19世紀初頭、これまで列強の植民地であった中南米で独立する国が次々と生まれます。フランス領であったハイチの独立を先駆けとして、ボリビアやパナマ、チリやペルーといった国が植民地支配を脱していきました。
そんな南米諸国のなかで、少し変わった独立の歴史をたどったのがブラジルです。この金貨は、帝政と共和制という相反する2つのブラジルの歴史を刻んだ一枚です。
基本情報
| 発行国 | ブラジル |
| 発行年 | 1972年(1822年独立 → 150周年の年) |
| 素材 | K22(=金92%) |
| 額面 | 300 クルゼイロス |
| 重量 | 16.65 g / 27.5 mm |
| 図案(表) | ・ブラジル建国の象徴である ペドロ1世の肖像
・当時の国家元首 エミリオ・ガラスタズ・メジシの肖像
・周辺に “BRASIL / 1972 / 1822”などの文字 |
| 図案(裏) | ・ブラジル地図の輪郭が上部に配され、その下に額面「300 / CRUZEIROS」
・周縁に記念文字「SESQUICENTENARIO DA INDEPENDENCIA」(独立150周年) |
表面の肖像画に描かれた2人はブラジル建国の皇帝ペドロ1世と、発行当時のメジシ大統領です。
共和制国家で現職の国家元首が貨幣のデザインになるということは極めて稀であり、1972年当時のブラジル軍政期の政治的意図が透けて見える歴史的・政治的な意義を持った貨幣と言えるでしょう。
また、そのような特異的な状況であることも手伝ってか、独立のメモリアルイヤーの記念貨幣であるにも関わらず鋳造数は50,000枚と極端に少なくなっています。まさに幻の一品です。
ブラジルの独立とペドロ1世
19世紀初頭、数々のラテンアメリカ諸国が独立を果たしていきます。しかし、中南米の多くの国々がスペインの植民地であったなかで、ブラジルだけはポルトガル領です。そのため、同時期に独立を果たしたラテンアメリカ諸国とは異なるやり方で独立を果たすことになります。
ポルトガルとブラジルの奇妙な関係
1807年、大陸封鎖令への参加を拒否したポルトガルへ、ナポレオン率いるフランス軍が侵攻します。12月には首都リスボンが陥落してしまいますが、その直前の11月に女王マリア1世や摂政のジョアン王子は部下とともに脱出しており、ブラジルへと向かっていました。史上空前の新大陸への遷都です。
こうしてポルトガルが王都をリオデジャネイロへと遷都したことで、ブラジルの位置づけは従来の「植民地」から「本国と同等の王国」へと変化していきます。
このことは、ブラジル国内における政治・社会の自立性や自治意識を高めることにつながりました。1815年には、正式にブラジルはポルトガル本国と同等の権利を有することが認められ、ポルトガル・ブラジル連合王国が成立します。
しかし、ナポレオン戦争が集結しヨーロッパに平穏が戻ってくると、この同格の関係が怪しくなっていきます。1820年からはじまるポルトガル本国の自由主義革命によって発足した、ポルトガル議会は再びブラジルをかつての植民地へ戻すべく、さまざまな工作をはじめました。
「私は残る」 魂の叫び
フランスに侵攻されたポルトガルでは、ナポレオン戦争後も社会的な混乱が続いていました。この混乱を鎮めるべく、ポルトガル議会はジョアン6世に本国への帰還を要求します。この要求に対し、ジョアン6世は1821年に息子のペドロ王子を摂政に任命し、自身の名代としてブラジルを任せると一路ポルトガルへと戻りました。
その後、ポルトガル議会はペドロ王子をリオデジャネイロ州知事へ格下げ、ブラジルの司法権を排除、そして、ペドロ王子の本国帰還など、徹底的に植民地へ戻すための布告をブラジルに出し続けました。
もちろん、これにブラジル側も黙っていられません。駐留していた軍や自由主義者、知識者などをペドロ王子が中心となってまとめ上げ、いよいよブラジル独立へと動きはじめました。そして、ペドロ王子自身は議会からの帰還命令に対して「私は残る」と公然と言い放ちました。
独立の機運が高まる1822年9月7日、ペドロ王子はサンパウロ近郊のイピランカの丘で叫びます。ポルトガルの象徴である青と白の腕章を外し、「独立か、あるいは死か!」とブラジルの独立を正式に宣言、同年に民衆に押される形で皇帝に即位しました。
この出来事は「イピランガの叫び」と呼ばれ、現在でもブラジルにとって記念すべき日となっています。かくして、ブラジルは南米唯一の帝政の国として新しい歴史を歩みはじめることとなりました。
その後、1825年に結ばれたリオデジャネイロ条約によってポルトガルは新国家の独立を正式に承認します。国家としては安定したものの、ペドロ王子自身はポルトガルにいる家族と本国議会、そして、ブラジルの民衆との間で最後まで苦悩し続けることとなりました。
メジシ大統領とブラジル
ほかのラテンアメリカ諸国とは異なる出発点にいたブラジルも1889年に起きた共和制革命によって、共和制へ移行と移行します。その後、20世紀前半までに複数回のクーデターに端を発する政治体制の移行があり、1964年にアメリカの支援で軍部が政権を奪取すると、軍事独裁政権がはじまりました。
そのような状況で選ばれたのが、「ブラジルの奇跡」と呼ばれる経済発展を成し遂げるメジシ大統領です。
軍政下の経済発展
1969年、軍政下にあるブラジルでエミリオ・ガラスタス・メジシが大統領に就任します。彼は在任中にトランス・アマゾン・ハイウェイやリオ・ニテロイ橋、イタイプ水力発電所橋など国内のインフラを大幅に整備、国内の産業基盤を整えました。
また、これまでブラジルの農業一辺倒であった産業構造にもメスを入れ、鉱業・エネルギー産業を中心とした第二次産業へ転換を進めました。これによりブラジルの輸出品目も多様化し、GDP成長率は10%以上を記録するという「ブラジルの奇跡」を成し遂げました。
しかし、この奇跡は同時に多大な外債に支えられていました。奇跡の裏で対外債務の大幅な増加を引き起こし、1968年には39億ドルであった債務が、退任直前の1973年には125億ドルと4倍も増えてしまいます。この大幅な債務超過は、現代のブラジルにも少なからず影響を与えています。
軍政下の強権政治
大幅な経済発展を成し遂げ、1970年のワールドカップで優勝するなど国内が歓喜に沸いた一方、メジシ大統領時代は「鉛の時代」と呼ばれるほど、軍事独裁が頂点に達した時代でもあります。
民間機関への弾圧と検閲が強化され、親米政権であることから共産主義者は徹底的にマークされ、誰も政権への批判を噤んでいました。それ以外にも、拷問や暗殺も組織的に行われた時期でした。
彼の退任後は後継政権によってゆるやかに民主化が進み、1985年には民政へ移行します。同時に近隣諸国との緊張関係も解消に向かっていきますが、未だに汚職や不正などが相次いでいるのも事実です。このことは先の負債と併せていまだにブラジルに暗い影を落とし続けています。
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ブラジル独立150周年を記念して発行されたこの金貨は、歴史的意義と希少性を併せ持つ一枚です。独立の象徴であるペドロ1世と、発行当時の時代背景を色濃く反映したデザインは、コレクターからの評価も高く、年々注目が集まっています。
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