再出発の象徴が刻まれたバルバドスドル金貨について紹介
バルバドスは、カリブ海の東の端、小アンティル諸島に属する小さな島国です。イギリス連邦の一角を成し、歴史的にもイギリスと深い関わりを持ちます。
今回は、入植から350周年を記念した金貨を紹介するとともに、カリブ海とそのバルバドスの歴史を見ていきましょう。
基本情報
| 発行国 | バルバドス |
| 発行年 | 1975年 |
| 素材 | 金(合金、500/1000) |
| 額面 | 100 バルバドス・ドル |
| 重量 | 総重量:約6.21 g、金含有純金量:約0.0998 oz(約3.10 g) |
| 図案(表) | バルバドスの紋章と「350TH ANNIVERSARY 1625 1975」等の文字
→イギリス人の入植から350年であることを示す |
| 図案(裏) | イギリス船オリーブ・ブロッサム号の満帆図 |
金貨に限らず、国が発行する貨幣には人物、その時々の国王や著名な人物が刻まれることが一般的です。
これは肖像画にすることで偽造しにくくなるという効果もありますが、それ以上に貨幣の信用、つまりは国の信用として、国家が正式に発行したものである、ということの証明の意味合いもあります。
そのため、英連邦の一角であるバルバドスが、国家元首であるエリザベス女王の肖像を刻まず、帆船を硬貨のデザインに取り入れたことは、極めて異例と言えるでしょう。
無人島から出発した国
世界的に見ても珍しい帆船デザインの金貨は、バルバドスの歴史を語るものです。
イギリスがバルバドスの領有を宣言した当時、この島は無人島でした。金貨のデザインになっている帆船は、1625年に最初のイギリス人がかの地に上陸したときの船とされており、バルバドスの歴史のはじまりと言っても過言ではありません。
無人島からはじまったバルバドスの歴史とともに、当時のカリブ海をめぐる戦いを紐解いていきましょう。
島の発見とイギリスの進出
コロンブスの新大陸発見の報は、ヨーロッパ中の人々を海へと駆り立てました。その先陣を切ったのが、いち早く国家統一を成し遂げたスペインとポルトガルです。
バルバドスの島も16世紀初頭にスペイン人が発見しており、「ひげの生えたもの」という意味の「Los Barbados」と名付けられました。何が髭のように見えたのかについては、現在でも所説ありますが、島内に自生していた植物であるというのが有力です。
しかし、発見したスペインはカリブ海の東の果てにあるバルバドスよりも、本土に近く戦略的価値の高いキューバやプエルトリコの征服を優先したため島は放置された状態となります。
一時期はブラジル方面から渡ってきたアラワク族やカリブ族などが定住したとされていますが、これらの部族もスペインの襲撃や奴隷化、疫病の影響で姿を消し、16世紀末にはほぼ無人島となってしまいました。
この間隙をつく形で、カリブ海に進出してきたのがイギリスです。
1625年、イギリス人ジョン・パウエルが偶然この島を再発見すると、イングランド王チャールズ1世の名のもとにバルバドスをイギリス領と宣言します。
どこの国も支配していない島を無血で奪取できたイギリスは、以後、この島をカリブ海における重要拠点として発展させていきます。
砂糖王国の光と闇
1588年におきたアルマダ海戦での敗北以後、大西洋の制海権を維持することが厳しくなっていたスペインですが、それでも南米大陸に広大な領地を持ち、そこから吸い上げた金銀によってしばらく帝国を維持します。
そのため、17世紀を通して幾度となく英西関係が緊張するたびに、カリブ海でも断続的な戦闘が勃発したことが記録されています。
しかし、そんな波乱とは無関係と言わんばかりに、バルバドスは平和に発展していきます。
スペインが軍事的な価値を見出しにくかったこと、当時横行していた海賊の船団が近づきにくかったことが理由とされていますが、とにかくイギリス人の入植がはじまったバルバドスは、タバコや綿花、インディゴなどの作物を小規模に栽培するのどかな島でした。
その状態は、17世紀なかばにオランダ人商人がブラジルから砂糖の精製技術を持ち込んだことで一変します。
当時、スペイン、オランダ、そして、フランスと睨み合いを続けていたイギリスにとって、莫大な利益を生む砂糖は喉から手が出るほど欲しい商品でした。
幸いなことに島全体が熱帯に属するバルバドスはサトウキビの栽培にうってつけであり、一気に島内では砂糖のプランテーションが発展します。
しかし、それは同時に、この島に闇をもたらすものでもありました。
プランテーションを作るためには、労働力が必要です。オランダ商人が同時に持ち込んだ奴隷貿易のノウハウを使って、アフリカから数えきれないほどの奴隷を島に輸入しました。
その扱いは、苛烈というほかなく、1661年にバルバドス植民地議会は「バルバドス奴隷法」を制定し、法的に奴隷を「財産とみなす」ことを定めました。
この法令は以後200年あまりカリブ地域の奴隷制の規範になるなど、その後の奴隷の扱いを決定づけてしまうものでした。
再出発の島
長らくイギリスの支配下にあったバルバドスでしたが、産業革命が起きると工業製品への投資が大きくなり、相対的にプランテーションへの依存度が低下しました。
また、アメリカ独立戦争、フランス革命と啓蒙思想が発展したヨーロッパでは、植民地における奴隷制は「野蛮で前時代的なものである」という価値観が広まっていきます。
その結果、イギリスは1807年に奴隷貿易を禁止、1833年には奴隷制そのものを廃止。ついに200年近く続いたバルバドスの奴隷制は終わりを告げました。
しかし、制度がなくなったからといって、奴隷がいきなり財産持ちになれるはずもありません。制度廃止後もしばらくはプランテーションの経営者が元奴隷を労働者として雇うという社会構造がそのまま残り続けます。
この社会構造が大々的に変化を余儀なくされるのは、19世紀も後半になってからの話です。
このころ、ブラジルやキューバ産の安価で高品質な砂糖が世界市場を席巻していました。規模の小さいバルバドスではまったく太刀打ちできず、必然的にプランテーションが崩壊、新しい産業が求められるようになります。
小規模農業経営に変化し、バナナやココナッツといった南国おなじみの果実のほか、マンゴーやパパイヤも盛んに栽培されるようになりました。なかでも、グレープフルーツはバルバドス原産とされています。
その過程のなかで、元奴隷も教育機会を得て自主独立の道を進んでいきました。
1930年代には黒人からの政治参画の要求も高まり、旧来のイギリス的な政治と植民地の気風が混ざりあった独特な国を作り上げていきます。そして、1966年。バルバドスは独立を成し遂げます。
この硬貨にデザインされた帆船は、バルバドスのはじまりであり、そこから紆余曲折を経て再び世界へと漕ぎだす再出発を暗示したものと言えるでしょう。
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バルバドス金貨は、イギリス人上陸350周年を記念して発行された、歴史的価値と美術的魅力を兼ね備えた一枚です。帆船を描いたデザインは、君主の肖像を用いない独自性が際立ち、世界的にも珍しい記念金貨として高く評価されています。
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