フランケン金貨とは? なぜスイスは傭兵国家になったのか?
アルプスの雄大な自然を臨むスイスは、古くから多様な民族と文化の交差点として栄えてきました。しかし、それは同時に大国との戦いの歴史でもあります。
この金貨に刻まれた「HELVETISCHE REPUBLIK」は、かつてスイスに建国されたヘルヴェティア共和国を意味します。
フランス革命戦争時に生まれ、わずか5年程で終わった国ですが、後のスイスに多大な影響を及ぼしました。この金貨は、スイスの歴史を知るためにも欠かせない歴史の一部です。
基本情報
発行国 | スイス |
発行年 | 1798〜1803年頃(発行年により詳細が異なる) |
素材 | 金(Au 0.900) |
額面 | 16フランが有名 |
重量・直径 | 約7.64g / 約23 mm |
図案(表) | 旗と剣を手にした兵士 |
図案(裏) | オークと月桂樹の装飾 中央に額面 |
1798年にスイスに侵攻したフランス革命軍は、旧来の州ごとの自治体連合であったスイスを中央集権的な共和国へと作り替えていきます。
こうして生まれたヘルヴェティア共和国では、自由・平等などフランス革命的価値観を反映した新しい国の象徴として、従来の州ごとの貨幣ではなく統一した貨幣を鋳造します。
この結果、生まれたのが「フラン(Franken)」を単位とする金貨・銀貨です。
つまり、フランケン金貨は、歴史的にはスイス初の中央政府による全国統一貨幣と言える非常に価値ある通貨です。
スイスと傭兵の歴史
このフランケン金貨の図案にはスイス伝統の傭兵の姿が刻まれています。
前述の通り、ヘルヴェティア共和国はフランス革命軍によって建国された国であり、そこに国民的な英雄像を刻むというのは、少々腑に落ちない点があることも事実です。
なぜ、スイス傭兵の姿が刻まれているのか、その理由を解説するとともに、まずはスイスの傭兵について知っていきましょう。
スイス盟約者同盟とハプスブルク家の戦い
中世のスイスはハプスブルク家、つまりは神聖ローマ帝国の支配下におかれていました。
苛烈な支配に対して、スイス側は各州が同盟を結び、地の利を活かした戦いを続けていきます。100年にもわたる抵抗の末、スイスは神聖ローマ帝国を追い返すことに成功しました。
アルプスの小国が帝国を撃退したという事実、そして、それを支えたスイス歩兵の強さは、瞬く間に欧州全土が知ることとなります。
その強さを買われたスイス歩兵は、中世から近代にかけての数々の戦争に参加、傭兵としていくつもの戦地を渡り歩くこととなりました。
これが金貨の表面に刻まれたスイス傭兵の歴史です。
傭兵が金貨の図案になった理由
なぜ、ヘルヴェティア共和国の貨幣の図案に国民的英雄とも言える傭兵を採用したのか。その理由については、現代でもさまざまな説が提唱されており想像の域を出ません。
いくつかある説のなかでも有力なものは、貨幣学者のクルト・イェーガーや歴史学者のジャン=ポール・ディヴォの説です。
彼らは、図案に傭兵を選んだ理由を「『新しい共和国を自らの力で守る国民兵・市民兵』という象徴として描いた」としています。
フランス革命は、言わば「自由と権利の獲得のため」の闘争です。それに対して、スイス傭兵もまた、ハプスブルク家からの支配に立ち向かった「自由と独立の象徴」です。
つまり、スイス傭兵がフランス革命軍にとっても自分たちと目的を同じくする存在だったことが、図案に採用された理由なのかもしれません。
まさに、ヘルヴェティア共和国の金貨は、スイスとフランスの両国が交わった歴史の証拠となる貨幣です。
現在のスイス傭兵
数々の戦争を経験したスイス傭兵は、次第にスイスの重要な産業として発展していきます。
もともと、山がちでめぼしい産業のなかったスイスにとって、傭兵は重要な外貨獲得手段であり、17世紀には成人男性の3分の1が傭兵になったとも言われています。
しかし、1874年の憲法改正で傭兵の輸出が禁止、さらには1927年に自国民の外国軍への参加が禁止されたことで、スイスの傭兵産業は完全に終了しました。
ただ例外として、現在でもバチカンのスイス傭兵だけは、その伝統と「教皇警護の警察任務」であり「軍の行動ではない」として現在も継続しています。
統一通貨の4つの言葉
スイス初の統一貨幣であったヘルヴェティア共和国のフランケン金貨ですが、ヘルヴェティア共和国が解体された後は、再びスイスの貨幣は州ごとの発行となってしまいます。
一説によると、最大で約75の貨幣単位と8,000種類を超える貨幣が存在したとも言われています。当然、その種類の多さは、国内外の商取引に大きな支障を及ぼすこととなります。
再び、スイスが統一貨幣である現在のスイスフランを手に入れるまでの歴史を追いかけましょう。
スイスフラン成立までの歴史
中世のスイスは、多くの州の緩やかな連合体です。1つの国家としてのまとまりもなかったため、各々の州で独自に貨幣を発行していました。
また、北東部のザンクトガレンやバーゼルなど交易で栄えた都市は、州の貨幣とも異なる都市独自の金貨・銀貨を発行し、地域経済を支えていました。
これだけでも複雑ですが、そこにフランスやイタリアといった周辺国家の通貨も流入していたため、到底収まりのつかないカオスな状況でした。
その後、ナポレオン戦争や国内の宗教戦争を経て、徐々に国家としてのまとまりが生まれ、同時に、複雑怪奇な貨幣体制の見直しも進められていきます。
そして1850年、ついに統一通貨であるスイスフランが誕生しました。
最初期のスイスフランは、フランスのフランがモデルであり、その貨幣体制もまた、1スイスフランは4.5グラムの銀に相当するフランス真似た銀本位制でした。
現在のスイスフラン
その後、スイスが永世中立国として国際的な評価を高めていくと、それに伴ってスイスフランの信頼も急上昇していきます。
現在では国自体が長年にわたり政治的・経済的にも安定していることから、「金よりも堅い」と称されるほど世界有数の安定した通貨としての地位を築いています。
国際市場における取引量も日本円に次ぐ第4位の取引規模を有しており、国によっては米ドルではなくスイスフランで国際決済が行われる重要な通貨の1つです。
また、現在のスイスフラン紙幣には、スイスの公用語であるスイスでは公用語がドイツ語・フランス語・イタリア語・ロマンシュ語の4つ全てが記載されています。
公用語が複数あっても、通貨や政府文書のような公式書類には代表となる言語だけを記すことが一般的ななか、すべてを記しているスイスフランは非常に珍しい例と言えるでしょう。
これもまた、スイスの歴史を知る、重要な証人なのかもしれません。
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