スイス連邦成立150周年記念金貨 自由のために戦ったスイスの歴史に迫る
アルプス山脈に抱かれた山と湖の国、スイス。
国内には、古くからアルプス山脈を越えるための峠も多く、長年に渡りヨーロッパ各地の文化が交わる場所として発展してきました。
しかし、それは同時に大国との戦いの歴史も意味します。幾度となく侵略され、そのたびに仲間とともに戦い続けてきた歴史をこの金貨は教えてくれます。
基本情報
発行国 | スイス |
発行年 | 1998年 |
素材 | 金(0.90Au) |
額面 | 100スイスフラン |
重量・直径 | 約22.58 g、 27.8 mm |
図案(表) | 1848年当時の硬貨デザインが正方形枠内に浮彫に配置 |
図案(裏) | 連邦十字や記念年、スイスの文字などの装飾的意匠 |
1998年に現在のスイス連邦の成立150周年を記念して販売された記念金貨です。
表面のデザインは、1848年の連邦発足時に発行された金貨のデザインの再現であり、スイスの象徴であるヘルヴェティアがたたずんでいます。
また、一般流通するものではなく、記念収集用に鋳造された限定プルーフ品であるため、非常に希少価値が高く、額面以上のプレミアム価格で取引されるケースも少なくありません。
自由のために戦い続けた者たち
山間に位置するスイスには、数多くの峠があります。アルプス山脈を抜けて東西南北に行き来できることから、周辺国にとってスイスは地政学的に見過ごせない場所でした。
幾度となく魔の手を伸ばしてくる大国に、スイスはどう立ち向かっていったのか、スイス連邦成立までの歴史を追いかけていきましょう。
ヘルヴェティアと盟約者の源流
紀元前のスイス西部にはヘルウェティティ族というケルト系の民族が、そして、東部には非ケルト系のラエティ人が住んでいました。
特に、現在のスイス西部に位置する彼らの居住地域は、南方のローマ帝国ではラテン語で「ヘルウェティティの住む場所」という意味の「ヘルヴェティア」と呼ばれていました。
現在でも、スイスをいくつかの言語で「ヘルヴェティア」と呼ぶのは、このときの名前に由来します。また、歴代のスイスの硬貨にも刻まれる由緒ある名前です。
その後、ローマ帝国の属州となったり、ブルグント王国が占領したり、ゲルマン系のアレマン人やロンバルト人が流入したりと紆余曲折を経て、現在のスイスの源流が形作られます。
特に、アレマン、ロンバルド、ブルグント、ラエティの4部族が共存したことが、現在でもスイス国内で、ドイツ語、イタリア語、フランス語、ロマンシュ語の4つが話される大きな理由となっています。
盟約者同盟の誕生と発展
8世紀後半には、カール大帝のカロリング朝がスイス地域を支配下に組み入れました。カール大帝の元、領内にはキリスト教が広まり、修道院や教会の建設も盛んに行われました。
しかし、その後の王朝の分裂や新興勢力の勃興によって、スイスでは貴族や教会、騎士や商人と言った身分も人種もバラバラな人たちが入り乱れる混沌とした状況となります。
さらに、山岳地帯という地理的条件も相まって、スイス全域に小さな領土が多数存在する状態になりました。これが現在に伝わるカントン(州)の原型と言われています。
その後、13世紀に入り、ゴッタルド峠が開通、スイスが欧州南北をつなぐ交易路として発展すると同時に、峠近隣のカントンが力を付けはじめます。
当然、これを支配者側が座して見ている訳がありません。当時、スイスを領していた神聖ローマ帝国のハプスブルク家は、各カントンに対して苛烈な圧政を敷きました。
これに対して、1291年にスイス側もカントンの連合、俗に言う「盟約者同盟」を結び、ハプスブルク家に対抗。戦いの末、ついにハプスブルク家の撃退に成功します。
余談ですが、スイスの英雄であるウィリアム・テルの伝説も、この時期の戦いのときの戦士がモデルとされています。
ナポレオン時代と中央集権化の試み
ハプスブルク家を打ち破ったスイスの快進撃は続きます。
14世紀から15世紀にかけて、続々と同盟に加わるカントンも増え勢力は巨大化、フランスやイタリアなど各国の戦争に傭兵を送り込み、周辺国に対する影響力も持っていました。
その後、宗教改革や三十年戦争を原因としたカントン同士の対立がありつつも、1648年のウェストファリア条約によって完全に神聖ローマ帝国の支配から脱出します。
しかし、次なる脅威は西側から襲ってきました。フランス革命です。
スイスに及んだ革命の余波は、スイス旧来の各カントンの地方自治を廃し、中央集権的な近代国家への変化を強制します。
しかし、言語の壁や各カントンの経済差などから満足に進まず、結局1803年にナポレオン自ら調停に乗り出し、元の地方自治の体制へと戻ることになります。
また、ナポレオン戦争後の1815年に開かれたウィーン会議では、スイスの領土とカントン体制が整理されると同時に、永世中立国として国際的に承認を受け、現在に至っています。
最後の戦いと連邦政府の成立
1815年のウィーン会議後、ヨーロッパには久方ぶりの平和な時代が訪れます。
しかし、産業革命に伴う自由主義の発展と王政の対立、中世から続く宗教戦争の溝は、列強各国で確実に燻り続けていました。もちろん、それはスイスも例外ではありません。
もともと、スイスは民主化、自由化が進んでいた国でした。しかし、それに対し、カトリック派の保守的カントンが真っ向から対立、内戦へと発展していきます。
わずか1か月ほどで内戦は収束しますが、この結果として1848年にスイス連邦憲法が制定され、現在まで続くスイス連邦が生まれることとなりました。
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