バルセロナ五輪記念硬貨について解説
4年に1度のスポーツの祭典、オリンピック。アスリートたちが己の鍛錬の成果を世界に見せる場は、コインコレクターにとってもまた戦いの舞台です。
オリンピックに併せて発行される記念硬貨は、希少性やデザイン性が高いものが多く、コレクターたちが挙って求めます。
今回は、1992年のバルセロナオリンピックでの記念硬貨について紹介します。
基本情報
発行国 | スペイン |
発行年 | 1988年~1992年 |
素材 | 金99.99% |
額面 | 2000ペセタ / 4000ペセタ |
重量 | 2000ペセタ:約13.5g / 約27mm 4000ペセタ:約27.0g / 約37mm |
図案(表) | 表面にはバルセロナの歴史や文化的象徴(タイミングで異なる) ・サグラダ・ファミリア ・モンジュイックの丘 ・カサ・バトリョ など |
図案(裏) | フアン・カルロス1世国王のロイヤルファミリー |
1964年の東京オリンピック以降、開催国が記念硬貨を発行することが通例となっています。今回紹介する記念硬貨も1988年から1992年までシリーズとして発行されたものです。
バルセロナ五輪の記念硬貨は、表面にサグラダ・ファミリアを筆頭としたバルセロナ各地の歴史的名所を刻んでおり、非常に芸術性の高い一品となっています。
また、発行枚数が限定的のため、現在の市場価格は、発行時の額面価値以上にプレミアが反映された金額で売買されることも少なくありません。
東西融和の五輪
1992年に開催されたバルセロナ五輪は、ベルリンの壁の崩壊、そして、ソ連の解体と劇的な終わりを告げた東西冷戦の終結後初の夏季五輪です。
キューバのカストロ首相が開会式に参列、ソ連を構成していた国の選手が統一チームを組んで大会に参加するなど、まさに「冷戦が終わったこと」を象徴するような大会となりました。
しかし、バルセロナ五輪の意義はそれだけに留まりません。まずは、オリンピック理念の体現ともいえるバルセロナ五輪の別の顔を紹介しましょう。
夢見た五輪の開催
オリンピックは、平和の祭典とも称されます。その意味では、実はバルセロナ五輪には56年越しの平和への願いが込められています。
過去、バルセロナは1936年の大会開催に向けた招致活動を行っていました。このときは1931年のIOC総会にて1936年のオリンピック開催地はドイツのベルリンに決定します。
このままであれば、単にバルセロナが招致に至らなかったという、どこにでもある失敗談として終わっていたでしょう。しかし、歴史は思わぬ方向へと進み始めます。
それが、1932年のヒトラー率いるナチス党の政権掌握です。この結果、ベルリン五輪はヒトラーの大規模なプロパガンダの場へと姿を変えてしまいます。
当然、これにスペイン政府は猛反発。大会をボイコットし、対抗する形で同年にドイツからの亡命者を含む22カ国・6000人が参加する「人民オリンピック」の開催を宣言しました。
しかし、歴史はまたしても残酷な運命を突きつけます。開催を目前にした1936年7月にスペイン内戦が勃発。結局、この大会は幻と消えることとなりました。
バルセロナ五輪では、このときのスタジアムをそのまま用いて開催されています。もしかすると、それは56年前の思いを実現させるためだったのかもしれません。
芸術性の高い祭典
オリンピックの持つ、もう1つの側面が文化振興です。特に開会式や閉会式は、開催国・開催都市の文化が反映されるため、その国を知る素晴らしい機会となります。
その意味で言うならば、バルセロナ五輪は、文化的特徴に富み、芸術面で著名な人物を輩出し続けるスペインだからこそ出来た近代オリンピック史上、屈指の芸術的な祭典だったと言えるでしょう。
開会式と閉会式の音楽監督は、世界的人気を誇るテノール歌手のホセ・カレーラスが担当したほか、モンセラート・カバリェをはじめとする多くのスペイン人歌手が参加しています。
また、国外からもイギリスのサラ・ブライトマンやアメリカのジェシー・ノーマン、日本の坂本龍一なども参加し式典を盛り上げました。
まさに、情熱の国スペインと言わしめる素晴らしい祭典として、現在でも高い評価を得ています。
日本人選手の活躍
音楽では坂本龍一が、会場設計に磯崎新が参加したほか、大会マスコットの「コビー」がアニメになるなど、日本人にとってバルセロナ五輪は競技以外も見どころの多い大会でした。
しかし、オリンピックの主役はやはりすべてのスポーツ選手でしょう。そんなバルセロナ五輪の日本人選手の活躍は、どうだったのでしょうか。
ここでは、競技に挑んだ日本人選手の見どころと成果を振り返ります。
世界に挑んだ若武者
バルセロナ五輪を語る上で外せない選手といえば、やはり競泳の岩崎恭子選手でしょう。
世界ランキング14位と注目度は決して高くなかった14歳の少女が、世界の強豪を超え、さらには世界記録を塗り替え金メダルを獲得した姿は、日本中を大いに沸かせました。
彼女の14歳6日でのオリンピック金メダル獲得は、競泳競技での最年少記録であり、2025年現在も更新されていません。
もう一人、柔道の田村亮子選手も外せません。この大会から正式種目となった女子柔道で田村選手は7階級に出場、5個のメダルを獲得しましたが、金メダルには届きませんでした。
まだ、このときの田村選手は高校生でしたが、この成績は今後の成長と活躍を期待させるには十分すぎる結果であったと言えるでしょう。
日本陸上界の底力
数々の素晴らしい成績を納めている日本人選手ですが、成績が奮わない競技も確かに存在します。なかでも陸上競技は、その最たるものと言えるでしょう。
しかし、バルセロナ五輪ではその評価を覆し、数々の競技で輝かしい成績を納めています。
特にマラソンは、男子で森下広一選手が銀メダル、女子で有森裕子選手が銀メダルを獲得しています。特に女子陸上でのメダル獲得は実に64年ぶりの快挙となりました。
この快挙が、続くアトランタ大会での有森選手の2大会連続の銀メダル、そして、2000年のシドニー大会での高橋尚子選手の悲願の金メダル獲得に繋がっていきます。
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1992年、華やかな開会式や日本選手の活躍で記憶に残るバルセロナ五輪。その歴史を刻んだ記念金貨は、今なお多くのコレクターに愛され続けています。
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