アルベールビル五輪記念硬貨を紹介
かつては国威発揚や都市ブランド向上の最大の起爆剤とも言えたオリンピックですが、近年は開催に関する巨額費用や開催後のインフラの活用問題などから、大都市であっても招致に二の足を踏んでいるのが実情です。
そのなかで、後年のオリンピック開催のあり方を決定づけたと言っても過言ではないのが、1992年に開催されたアルベールビル大会です。現代オリンピックが抱え続けていたさまざまな問題が浮き彫りになり、その後のオリンピックの転換点ともなった大会について解説していきます。
基本情報
| 発行国 | フランス |
| 発行年 | 1989年、1990年、1991年など(開催前の数年間にかけて順次発行) |
| 素材 | 0.920(=金92.0%) |
| 額面 | 500 フラン |
| 重量・直径 | 17 g/31 mm |
| 図案(表) | ウィンタースポーツをモチーフにした図案 例:アルパインスキー、スピードスケート、ボブスレーなど |
| 図案(裏) | 「XVIes JEUX OLYMPIQUES D’HIVER」「ALBERTVILLE 92」「500 FRANCS」など |
1964年の東京大会以後、オリンピック開催を記念し大会を盛り上げるために、開催国が記念硬貨を発行することが通例です。
アルベールビル大会の記念硬貨は、金貨以外にも銀貨も多数発行されており、いずれも大会ムードを盛り上げるウィンタースポーツを題材とする図案となっています。
いくつかのデザインのなかでも、1991年発行のフリースタイルスキーデザインのものは、発行枚数が8,000枚とほかの記念硬貨と比較しても枚数が少ないため、希少価値が高くなっています。
そのほかプルーフ仕様で発行されたものが多く、高級感あふれる記念硬貨です。
おわりとはじまりのオリンピック
1992年開催のアルベールビル大会は、オリンピック開催のあり方、インフラの活用方法、そして競技内容など多方面で「オリンピック」という世界規模のイベントの方向性を決定づけた歴史的な大会です。
開催費用の巨額化や競技よりも商業的側面ばかりがクローズアップされてしまう実情など、現代オリンピックが抱えるさまざまな問題を確認するためにも、今一度、アルベールビル大会における変化を確認していきましょう。
夏と冬が分かれた年
現在のオリンピックは、西暦が4の倍数の年に夏季大会を、その2年後に冬季大会という間隔で開催が続いています。
しかし、フランスのシャモニー・モンブランで開かれた第1回冬季大会から、このアルベールビル大会まではすべて夏季オリンピックと同じ年に開催されています。
しかし、放送権や運営母体であるIOCのスケジュールの問題などから、1986年のIOC総会で冬季オリンピックの開催が夏季大会の間に差し込まれる形へと変更されました。
つまり、アルベールビル大会は、夏と冬のオリンピックが同じ年に開催された最後の大会です。(1992年の夏季大会はスペイン・バルセロナで開催)
このあと、冬季は94年リレハンメル、98年長野、夏季は96年アトランタ、2000年シドニーと続いていきます。
この変更は、開催都市やIOC、そして各国メディアにとっては、資金や準備期間を十分にとれる見事な改革だと非常に好意的に受け止められました。
しかし、各競技団体からは国際大会との重複などのスケジュール問題が発生するなど、「主役であるはずの選手がないがしろにされている」と捉えられ、もろ手を挙げて受け入れられる決定ではなかったのは事実です。
分散開催の実験大会
前提として、スキーやスノーボードなどの山野を活用する冬季大会は一都市での開催が難しいというのが実情です。
反面、ある程度ウィンタースポーツ施設が整っているリゾート地が近くにあれば、都市部でスケートやアイスホッケーなどのリンク競技、山岳部でスキーやボブスレーという開催方式は難しくありません。
実は、アルベールビル大会もアルベールビル市だけが大会会場になったわけではなく、近隣の都市なども活用した広域・分散開催となった大会になっています。
アルベールビル市内では開会式とリンク競技を開催、近隣のティーニュやメリベルなどのアルプス山麓のスキーリゾート地でアルペン競技を開催するなど、分散して大会を進めていました。
事実、IOCの公式資料でも大会名が「アルベールビル」ではなく、アルベールビルのある県名の「サヴォア」大会と呼称することもあるほど、地域一帯での大会となりました。
分散開催により、サヴォア県全体でその年の税収が例年を上回ったことを考えると、この開催形式には大きな意義があったといえるでしょう。
人の移動による商業収入、スキー用地の有効活用など、確かにオリンピックの開催は地方都市にとっては、大きな起爆剤になりうるビックイベントです。
しかし、選手の移動負担の増加、山野の再開発による環境問題など新たな問題が発生したことも紛れもない事実です。
特に、歴代最悪クラスの20億ドルとも言われる巨額赤字の原因となったインフラ整備費と、開催後にメンテナンスも行われず放置される施設の活用は、「どう準備するのか?」「終わった後、競技場を何に使うのか?」という開催の前と後の問題を今まで以上に浮き彫りにした形です。
このあと続くリレハンメルや長野では、これらの諸問題の解決策が練られることになります。アルベールビル大会は、オリンピックの開催のあり方そのものの見直しを突き付けられた大会と言ってもよいでしょう。
スピード競技の発展
政治や利権、お金の問題に関係者全員が悩まされ続けたアルベールビル大会ですが、一方で競技の人気に大幅な変化が生まれた大会でもあります。
それまでの冬季大会といえば、勇猛果敢に飛び出すスキージャンプと芸術的な出来栄えを競うフィギュアスケートに人気が集中していました。
ゆったりした演技や美しさが映えるため放送に向いていたほか、複雑なルールを知らなくても楽しめる「見る」楽しさがあったことが大きな理由でしょう。
反面、スピード競技は「テレビ映えしない」として、あまり人気がありませんでした。
アルペンスキーやスピードスケートは滑走時の速度が時速80kmを超えることも珍しくない競技です。
ただ、当時のカメラや撮影方法では、その視覚的な迫力が茶の前の視聴者には伝わりにくく、長らくマイナー競技に位置付けられていました。
そんなマイナー競技は、アルベールビル大会で空撮や地上追尾カメラなど新技術が次々と導入された結果、一気に人気が爆発します。
「現地で見ないとわからない」迫力が、そのまま画面を突き抜けて伝わるようになった結果、欧米諸国ではフィギュアスケートとスピードスケートの視聴率の逆転が起きたほどです。
特に、今大会で正式種目となったスピードスケートのショートトラックは、フィギュアやジャンプの視聴率を上回るなど、採用1回目で人気種目として定着し、現在でもドラマを生み続けています。
アルベールビル大会記念硬貨の買取は金貨買取本舗まで
1992年に開催されたアルベールビル冬季オリンピックを記念して発行された硬貨は、フランスならではの洗練されたデザインと歴史的価値で非常に人気を集めています。
特に金貨は希少性が高く、コレクター市場でも高値で取引されている貨幣です。
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