ナポレオン金貨とは? 近代フランスに登場した新・国際通貨について解説
1803年、革命の混乱も収まらないフランスに新規格の金貨が誕生します。これがナポレオン金貨です。非常に貨幣価値の安定した貨幣であったことから、イタリアやスイスも同じ規格の金貨を導入しました。
今回は近代ヨーロッパでフォリント金貨・ソブリン金貨に並び3つ目の国際金貨として発展した、ナポレオン金貨について紹介していきます。
基本情報
| 発行国 | フランス |
| 発行年 | 1803~1914年 |
| 素材 | 90%(K21.6) |
| 額面 | 20フラン |
| 重量 | 6.45g / 約21 mm |
| 図案(表) | ナポレオン1世、ルイ王、ナポレオン3世、マリアンヌと時代により変化 |
| 図案(裏) | 月桂冠、フランス王家の紋章、帝政の鷲、共和国の標語 |
ナポレオン金貨は同時期にナポレオン1世が政権を握ったことから「ナポレオンが描かれた金貨」と勘違いされがちですが、1803年のガイヤール法にて制定された上記の規格で鋳造された金貨全般を、貨幣史的にはナポレオン金貨と呼んでいます。
元祖フランスで発行された金貨は、ナポレオン1世にはじまり、ルイ・フィリップ1世やナポレオン3世、マリアンヌへと変化しており、それはまさに19世紀末から20世紀初頭のフランスの政治の変化の象徴でもあります。
ただ、肖像画のデザインは変化しても、フランスの象徴ともいえる月桂冠や王家の紋章だけは変わらずにデザインに組み込まれている点は興味深いところです。
イタリアやスイスといった近隣諸国でも同規格の金貨を導入し、1865年に結成されたラテン通貨同盟における標準規格にもなりました。
新規格の金貨
ナポレオン金貨は、狭義の意味では1852年から1870年にかけて発行された、ナポレオン3世の肖像を描いた20フラン金貨を指します。
しかし、貨幣史的には、1803年から1914年の第一次世界大戦によるフランスの金本位制度離脱前後まで発行されたフランスの20フラン金貨全てに適応された貨幣規格がナポレオン金貨です。
111年の長きにわたり使用されたナポレオン金貨について、そもそもの成り立ちから探っていきましょう。
革命のあとで
1789年のフランス革命の直後、フランス経済は上を下への大混乱となっていました。
革命のために用意していた王政時代の金銀貨はほぼ使い切り、近隣諸国からの干渉を跳ね除けるために印刷した紙幣もインフレで使い物にならず、流通網は壊滅状態。加えて、財政や経済を主導できる人物が軒並み消えてしまっており、革命政府は自ら起こした革命の後始末をつけられない状態でした。
また、中央の混乱を見ていた地方では、独自にドイツやスペインの貨幣を使用する状態であり、それを禁止したい革命政府との間で小競り合いや弾圧が続き、まさに混迷を極めていました。
この事態を重く見たナポレオン1世は革命政府に対するクーデターを実行、政権を手中に収めると同時に、経済安定のためのさまざまな政策を実行します。
このとき、発布されたのが「年号XI・ドゥジュール24日の法」、のちに計画立案者の名前から「ガイヤール法」と呼ばれる貨幣規格に関する法律です。
現れた3つ目の国際通貨
法律による金貨規格が制定されたことで、フランス経済は一気に安定へと向かうこととなります。
当時の金銀の実質交換比率である1:15.5に即した金品位であったことで、銀貨との交換もスムーズに行えるほか、庶民の少額取引にも使える絶妙なサイズとして広く浸透しました。
緻密、かつ安定した規格の金貨が全土に流通したことで流通も安定したことで、貨幣を利用した近隣諸国の干渉を跳ね除けることにも成功します。
そして何よりも、ナポレオンは先の革命後の混乱を反省し、この貨幣の管理を厳格に行っています。
全国造幣局を設立し各地の造幣所に対する統一的な監査の実施、金貨1枚1枚への発行年度と造幣所記号の刻印、目減りした金貨の回収、偽造対策の強化という、現代の中央銀行の品質管理と同等の管理を実施しました。
国際決済にも使えるようになり、革命で近隣諸国から距離を置かれていたフランスの国家的信用の回復にもつながりました。
のちに、イタリアやスイスも同様の規格で金貨を鋳造し、1865年のナポレオン3世のころには、ナポレオン金貨は西欧のソブリン金貨、東欧のフォリント金貨に並ぶ3つ目の国際通貨としての地位を確立しました。
蘇る皇帝 ナポレオン3世
日本でナポレオンというとフランス革命後に颯爽と登場、瞬く間に皇帝へ駆け上がったナポレオン1世、つまりはナポレオン・ボナパルドを指すことがほとんどです。
そんな希代の軍人として生涯を送った1世に対して、3世は政治的な手腕を発揮し、フランスの国力を高めました。混乱する近代フランスを立て直した希代の政治家、ナポレオン3世の素顔に迫りましょう。
亡命生活から大統領に
ナポレオン3世は本名をルイ=ナポレオン・ボナパルトといい、ナポレオン1世の甥(弟の子)にあたる人物です。若い頃は1世の失脚もあり、一家全体が亡命生活を送らざるをえず、極めて困窮していたと言います。
ナポレオン1世失脚後のフランスでは、ルイ18世やシャルル10世による王政が再スタートしていました。しかし、革命時代の反動ともいえる王政に対して、再び革命が勃発する有様でした。
一応、オルレアン家による立憲君主制の導入(七月王政)で政治は安定しますが、それも結局二月革命であっけなく幕切れを迎えると、いよいよフランスは普通選挙制を導入、共和制へと向かうこととなります。
この1848年6月に実施された選挙の結果、アドルフ・ティエール(のちのフランス第2代大統領)、ヴィクトル・ユゴー(『レ・ミゼラブル』の作者)らとともに、ルイ・ナポレオンも議員として当選を果たしました。
多くの政治家から危険性を指摘されてはいたものの、半年後の1848年12月に行われた大統領選に出馬、ほかの立候補者たちを得票率74%という圧倒的大差で破り、瞬く間に泡沫議員から大統領へと駆け上がりました。
内外の評価
その後、大統領になったルイ・ナポレオンは1851年にクーデターを実行、政敵の排除に取り掛かります。翌年には国民投票で皇帝に即位、ナポレオン3世の元、フランスは再び帝政がはじまることとなります。
しかし、これまでのブルボン朝の王政やナポレオン1世の帝政とは異なり、ナポレオン3世の帝政は即位当初は皇帝独裁の色が強かったものの、60年代からは「自由帝政」と呼ばれる自由主義・議会主義的な統治に転換していきました。
表現の自由が保証され労働運動や新聞の発行が盛んに行われたほか、エミール・ゾラの『居酒屋』に活写されるように、庶民もビアホールに集まったり、シャンソンやダンスに興じるミュージック・ホールやカフェ・コンセールに足を運んでいたと言います。
絶対たる皇帝の威信の元で発展していたナポレオン3世による第二帝政ですが、1870年の普仏戦争の最中、ナポレオン3世は捕虜になってしまうという大失態を犯してしまいました。
この敗戦の報が伝わると、パリ市民は一斉に蜂起、帝政の廃止と共和制の実施を宣言(パリ・コミューン)。帰国できなくなったナポレオン3世はイギリスに亡命、失意の晩年を過ごすこととなります。
このようなことから、普仏戦争の相手であったプロイセンのビスマルクからは「病的な衝動を抑えきれない」「功績は過大評価」と酷評、『資本論』のマルクスも「詐欺師」と批判的、アメリカのキッシンジャーからも「世論だけが寄る辺だった」と非常に残念な評価を下されています。
一方で、彼が在位中に行った政策は、ナポレオン金貨に関連する金融改革や各国との自由貿易の奨励、首都パリの都市開発や国内の鉄道網の整備など、現代にも通じるフランス国内のインフラや制度面の源流とも言えるものばかりです。
そのため、現在でもフランス国内では、その内政手腕を高く評価する声は少なくありません。また、普仏戦争での敗北ばかりがクローズアップされがちですが、ロシアとのクリミア戦争に勝利したほか、アジア・アフリカの植民地支配などで国力を増大させたため、近年は再評価する動きも高まっています。
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ナポレオン金貨は、美しいフランス彫刻と安定した金品位で世界的に評価が高い金貨です。大量発行されたものも多い一方、希少な枚数しか存在しないものも存在します。
年代や発行した造幣所、金貨の状態によって価値が大きく変わるため、専門的な査定が欠かせません。
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