フランス革命200周年記念金貨について解説
現代を生きる人々が当たり前に持っている「国家」や「人権」という概念は、実は18世紀に至りようやく人類が意識しはじめるようになったものです。
そして、その概念を持つ契機となったのが、1789年からはじまるフランス革命です。現代の民主主義、基本的人権へとつながる史上最大の政変を記念したのが、この金貨です。
基本情報
| 発行国 | フランス |
| 発行年 | 1989年 |
| 素材 | 中央は金(K22)、外周部はSV950(銀950) のバイカラー構成 |
| 重量 | 約 10.3 g |
| 図案(表) | ・ マリアンヌの女性像 →共和国 (France)の人間的象徴を用いたデザイン |
| 図案(裏) | フランス革命 200年記念の公式マーク |
1789年5月のフランス三部会招集から、1799年11月のナポレオンによるブリュメール18日のクーデターによる総領政府樹立までの一連の政変を指して、フランス革命と呼ぶことが一般的です。(文献や研究者によっては1815年のナポレオン戦争終結によるウィーン体制成立までを指すこともある)
表面のマリアンヌ像はフランス共和制の象徴であり、国民政治という意思の表れと言えるでしょう。
革命から200年を記念するメモリアルイヤーとなった1989年には、フランス各地で大々的な式典が実施されており、この金貨以外にも数々の記念硬貨が発行されています。
なかには、プラチナ製のものも存在しており、この革命をフランスが重視しているかがよく分かります。
なぜフランス革命は起きたのか
現代でもフランス革命に関する研究は続けられており、未だに新説が唱えられることも珍しくありません。
今回は「歴史の出来事」としてのフランス革命ではなく、人類史上空前絶後の政変の構造的問題や、フランス革命の意義について考えていきましょう。そこに現代社会が抱える問題のヒントが隠されているかもしれません。
フランス革命の原因
現在の定説では、フランス革命の原因はおおよそ4つに集約されています。
1つ目は、当時のフランスが抱えていた大幅な財政赤字です。フランスは先々代のルイ14世の時代、ヨーロッパ各地に軍を派遣、アメリカ独立戦争時には独立側の支援も行っていました。フランス絶対王政の最盛期を迎えることとなりますが、その対価は莫大であり国家財政は破綻寸前の状態でした。
政府は莫大な戦費を賄うために民衆に重税を課しますが、18世紀後半に穀物価格が急騰すると民衆は食糧不足に苦しめられることになります。これに対してとある高貴な女性が言い放ったというのが、かの有名な「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」という発言です。この食糧危機が2つ目の理由です。
ちなみに、この発言はマリー・アントワネットの政治や民衆への無関心さを示す象徴的なフレーズとしてよく使われますが、ルソーの自伝『告白』(1782)が初出とされており、書かれた年代を考えればルイ14世の王妃マリー・テレーズ、もしくは、ルイ15世の娘という説が有力です。
そして、3つ目の理由が、この状態を構造的に民衆に強いるアンシャン・レジームの存在です。
当時のフランスは、第一身分(僧侶)、第二身分(貴族)、第三身分(市民・農民)の3つの身分に分かれており、僧侶や貴族には免税特権が認められる一方、民衆だけが税負担するという極めて不公平な制度でした。
当然、この不平等を許せるはずがありません。特に、→商工業で力をつけていたブルジョワジーは「納税しているのに政治権利がない」ことに強い不満を抱いており、いつ爆発してもおかしくない状況でした。
そんな彼らの怒りの根源にあるのが、4つ目の理由であるルソーやモンテスキューらの啓蒙思想です。
この時代、のちのフランス人権宣言に明文化された「人間は生まれながらに自由・平等」「主権は人民にある」という思想が、社会構造に不満を抱く第三身分を中心に広まっていきます。そして、人々は社会を変えるために、立ち上がることになります。
フランス革命が後のフランスに与えた影響
革命後、フランスの政治はわずか10年ほどでめまぐるしく変化していきます。この政治の変化はフランス国家の仕組みやこれまで常識とされていた概念を打ち壊すものとなりました。
まず、国家の主権が国民に移ったことは大きな変化です。政治が王や一部の貴族によって恣意的に動かされるのではなく、国民の話し合いによって決まる体制へ変化したことは、現代の民主主義の先駆けと言えるでしょう。
また、アンシャン・レジームも廃止されました。身分によって法律が異なるという、フランス国民の不満の根本が解決されたことは、当時の人々にとってどれほど喜ばしいことだったでしょうか。
フランス革命初期の1789年に採択された「人間と市民の権利の宣言(人権宣言)」では、自由権と平等権が人が持つ普遍的権利として明文化され、市民は抑圧から解放されました。
そして、これらフランスで生まれた「国民主権」や「基本的人権」は、徐々にヨーロッパ全土へと広まっていきます。多くの国や人がフランスの法を学び取り、自国の法律に活かしたからこそ現代の民主主義が成立していると言っても過言ではないでしょう。
フランス革命の「裏側」で
当時の世界にも、200年以上の時を超えて現代にも、大きな影響を与えたフランス革命ですが、急進的な変革は同時にギロチンに象徴される恐怖政治へ行きついてしまったことも事実です。
ここからは、フランス革命の闇の部分、しかし、決して抜きにして語ることはできない恐怖政治について解説していきます。
議会独裁と恐怖政治
フランス革命中の1792年、国王ルイ16世がいたテュイルリー宮殿を民衆が襲撃した8月10日事件を以て、フランスは王政を廃止、普通選挙法で選ばれた代表が議員となる国民公会が権力を握ります。
しかし、この国民公会は革命完遂という大義名分のもと、立法権のみならずルイ16世から奪った行政権も手にしていました。奇しくも、革命の50年ほど前にモンテスキューが戒めた権力分立を啓蒙思想の産物である議会が否定するという、異常事態となっていました。
もちろん、この異常事態に気がついた議員や外部の知識人も数多くいたことでしょう。しかし、国民公会内の権力闘争に巻き込まれ、革命否定派や未だ国内で燻る王党派などと一緒にギロチンへ送られてしまいました。
また、革命後の政府を否定する意見の強かった地方では千人単位の処刑を断行するなど、民衆から歓迎されて生まれたはずの共和制政府が王政と同様に自分たちを弾圧するという結果となってしまいました。
結局、この血で血を洗う恐怖政治は、首班であったロベスピエールが失脚するテルミドール8日のクーデターまで続き、さらに革命の後始末を付けるためにはナポレオンの登場を待つこととなります。
恐怖政治の抱えた構造的な「闇」
世界史的に18世紀後半から19世紀前半はヨーロッパ各地で市民革命が相次いだ時期です。しかし、同時期、それ以前の市民革命と比しても、フランス革命は圧倒的に非戦闘員の血を流した革命と言わざるを得ません。
あまりにも多くの犠牲者を出した理由は、やはり王権の絶対性が1つの要因でしょう。
すでに『マグナ・カルタ』(1215)や『権利の請願』(1628)で国王権力に対する限定と対抗する議会という図式ができていたイギリスとは異なり、フランスの王権に制限はなく対抗する議会がありませんでした。
王政を打破すると言っても、イギリスには代替する統治機構がありますが、フランスには存在しない。つまり、王政打破、イコールそれまでのフランスという国の否定そのものにつながります。このことがフランス国内に絶望的な不安を生み、各地での反乱につながったと考えられています。
また、そもそもフランス社会が抱えていたアンシャン・レジーム自体への反対もあります。都市部の貧困層は食糧不足にあえぐ一方、貴族・聖職者は特権を維持という社会の深刻な二極化は、持たざる者に強い不満を抱かせました。
あまりにも極端すぎた不平等が、先述の統治機構不在という状況と相まって、暴力的な解決を「当然」と感じさせる心理的背景になったことも事実です。
そして、もう1つ。当時のフランスの外交状態も暴力を誘発する要因でした。
ルイ14世によるフランスの拡張政策は、フランスの絶頂期であったと同時に国際的な孤立を生みました。そこにフランス革命が掲げた王政打破は、既存のヨーロッパ秩序への挑戦に他なりません。
当然、各国は大激怒、革命を封じ込めるべく対仏同盟を結んで対抗、フランス革命戦争の幕があがります。 結果、この非常事態への対応として、国内の反革命分子(王党派や保守派)の即刻排除という極端な行動が正当化されることとなってしまいました。
恐怖政治の最中、処刑されたのはパリ市内だけでも1000人以上と呼ばれています。この流れた血の結果が私たちが当たり前のように享受している国民主権や基本的人権だと考えれば、今一度、その尊さを噛みしめなければなりません。
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