ドイツ マルク金貨について紹介
  古今東西、国の統一を成し遂げた王朝や政府はそれまで流通していた通貨を廃し、新貨幣を流通させることがほとんどでした。古くはアケメネス朝ペルシャや秦王朝、近代に入ってもオスマン帝国やイタリア王国でも事例が確認されています。
  
新貨幣の流通は国の経済を一本化や円滑な商業のためには絶対に欠かすことはできません。また、単純に行政を効率化するためにもにも実施するのは当然のことと言えるでしょう。
  そんな新貨幣を発行した国の1つに、ドイツ帝国があります。今回は、そんなドイツ帝国が発行したマルク金貨について解説していきましょう。
  
  基本情報
  
    | 発行国 | ドイツ帝国 | 
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    | 発行年 | 1871年~1915年(第一次世界大戦開始まで) ただし、5マルク金貨は1877年と1878年の2年間だけ
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    | 素材 | 金90% | 
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    | 額面 | ・5マルク ・10マルク
 ・20マルク など
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    | 重量 | ・5マルク:約1.995g ・10マルク:約3.982g
 ・20マルク:約7.965g
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    | 図案 | 皇帝(カイザー)や国章(鷲の紋章)が表面に刻まれることが多い。 | 
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    | そのほか | ・10マルク:使用は20マルク金貨に比べて少なめだが、取引用として流通した ・5マルク:額の取引向け、地方ごとに独自デザインあり
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  ドイツ帝国成立前、かつて神聖ローマ帝国と呼ばれた国のなかには、40ほどの独立した公国や王国が存在し、それぞれ独自の通貨を発行していました。それらを1871年にヴィルヘルム1世とビスマルク率いるプロイセン王国が統一すると、ドイツ帝国マルク(Mark)を公式通貨として採用し、発行されるようになりました。
  マルク金貨は、1マルクで0.358グラムの金と等価という金本位制度に基づく金貨です。当時の比較的安定した経済情勢のなかで発行されたため、金含有量にバラツキが少ないのが特徴です。
  しかし、第一次世界大戦の敗戦で巨額の賠償金を支払うことになったため、そのほとんどが国外へ流出し、現存する数も少なく希少価値の高い金貨となっています。
  帝国皇帝の肖像
  およそ半世紀、ドイツ帝国内で発行されたマルク金貨のデザインは、大きく分けて初代皇帝であるヴィルヘルム1世がデザインされたものと、3代皇帝のヴィルヘルム2世がデザインされたものに分かれます。(2代目のフリードリヒ3世は在位まもなく崩御したため、試作品しか残っていない)
  ドイツ帝国の歴史を追いながら、激動の時代を駆け抜けた皇帝ヴィルヘルム2世の肖像に迫りましょう。
  新たなる帝国の誕生
  1648年、三十年戦争の講和条約としてウエストファリア条約が結ばれると、長年ヨーロッパに君臨したハプスブルク家の支配域はオーストリア一国まで縮小します。代わりに現在のドイツ一帯に存在していた300ほどの領邦はそれぞれが主権を認められた国家として成立、それぞれが独自の道を歩んでいくこととなります。
  その領邦のなかで大きく躍進したのが、プロイセン王国です。ハプスブルク家率いるオーストリア、ナポレオン率いるフランスと幾度となく戦い続けたプロイセンは、いつしかヨーロッパの強国となっていきました。
  そして、1870年の普仏戦争でナポレオン3世率いるフランス軍を破り、パリに入城したプロイセン王ヴィルヘルム1世が皇帝として戴冠、ドイツ領内の諸侯をまとめ上げ、ここにドイツ帝国が誕生します。
  もともと、1850年代ごろからドイツ領内は石炭や鉄鋼、鉄道などの産業が活発でしたが、統一国家が誕生したことで、より弾みがつきます。帝国崩壊までの47年間で産業や科学技術は世界の最先端を進み、経済規模も世界第2位へと大きく躍進しました。
  中央集権化と工業化の皇帝
  そんなドイツ帝国発展の立役者ともいえるのが、1888年に即位したヴィルヘルム2世です。
  29歳の若さで皇位についたヴィルヘルム2世は、祖父の代から仕えていた宰相のビスマルクを解任すると、皇帝権限の強い中央集権的な統治体制を推進するようになります。
  帝国議会との調整よりも皇帝・官僚主導の政策決定を優先した政治体制は一部では独裁的とも批判されますが、労働者の保護と権利拡大し、ビスマルク時代から続く健康保険、年金制度、失業保険などの各種社会保障制度を拡充させるなど帝国民を向いた政治であったとして高く評価する研究者も少なくありません。
  また、国家統一がなされたあとも地方によってバラバラであった法制度・行政制度の統一を強化し、地方公国間の不均衡の是正も実施しています。それ以外にも、国家の源ともいえる教育には非常に力を入れており、技術者教育、専門学校の充実など、ドイツの工業力の発展の基盤を作り上げました。
  失策続きの外交
  内政に優れた手腕を発揮した一方で、外交面ではあまりよい良い評価を得ているとは言い難いのも事実です。
  即位当初のヴィルヘルム2世はイタリアやオーストリアとの関係を重視し、親英反露路線を採っていました。結果的にこの外交政策はロシアとフランスの接近を許してしまいます。露仏に対抗する英独同盟を結ぼうとするものの失敗。ただ、この当時の英独関係は悪いものではありませんでした。
  この敵対関係でない英独関係は、1894年の日清戦争を契機として徐々に悪化していきます。列強の誰もが予想していなかった日本の勝利によって、列強は対清政策の根本的な転換を迫られます。
  結果的に、極東方面へ進出したいドイツ、南下政策を一気に進めたいロシア、すでに中国領内で権益を得ているイギリス、三国干渉で大陸進出を阻まれた日本、この4か国の間で新たな火種が燻ることになりました。
  また、同時期にヴィルヘルム2世は植民地獲得に動き出していました。しかし、植民地の獲得には十分な海軍力が必要となります。これがイギリスとの間に泥沼の建艦競争を巻き起こし、より警戒されることとなります。
  このヴィルヘルム2世の海外政策ついては、外祖母にあたるヴィクトリア女王からも散々に手紙で小言が伝えられていたと言いますが、ついぞヴィルヘルムが聞き入れることはありませんでした。
  結局、日露戦争が日本の勝利で終わると、イギリスは驚異の薄れたロシアではなく、中東政策や建艦競争の相手であるドイツを危険視するようになり、英独の対立は決定的なものになりました。
  大戦下の皇帝
  その後、精力的に外交を行うヴィルヘルム2世でしたが、英仏に加えて、ロシアとはバルカン半島の民族問題で、日本とは中国・南洋諸島の権益で対立を深めていくこととなります。友好的だったアメリカも1908年に日米協商が締結されると、ドイツと距離を置くようになっていきました。
  結局、1910年ごろにドイツに友好的だったのは、同胞のオーストリア=ハンガリーを除けば、死を待つだけのオスマン帝国と列強に蚕食された清だけという有様であり、完全なドイツ包囲網が完成していました。
  列強各国が各々の権益問題で対立と友好を繰り返すなか、燻り続けた火種はついにサラエボ事件で爆発します。ヴィルヘルムは同胞であるオーストリアを支援のために軍を派遣しますが、これに対してロシアもセルビアの支援に軍を動かします。両国の動きにフランス、イギリス、日本、オスマン、イタリアが続々と参戦、瞬く間に戦火は世界規模へと広がっていきました。第一次世界大戦のはじまりです。
  大戦の最中、ヴィルヘルム2世は自ら前線に行き、下級兵士1人1人に話しかけたり、病院で負傷兵を見舞ったりするなど国民の戦意向上に努めていました。皇帝として政治決定にも参加しますが、戦争の詳細な戦略立案は参謀本部に握られてしまっており、往時の辣腕を奮ったときの勢いはまったくなかったと言われています。
  敗戦と退位
  1917年にロシア革命が勃発、大戦から離脱したものの多数の列強を相手にできるだけの戦力は、さすがのドイツにもなく徐々に劣勢に追い込まれていきます。1918年のアミアンの戦いで敗北すると、完全に主導権は連合に奪われてしまい、ドイツ軍は各地で後退していくこととなりました。
  また、イギリスとフランスが中心となって行った封鎖令により国内各地で食糧不足に陥り、もはや戦争継続が困難なほどにドイツは疲弊していました。
  そのような社会不安が増大しつづけるなかで、1918年にヴィルヘルムスハーフェンやキールで水兵の反乱が発生、さらには国内各地の領邦にて王政打倒の革命が立ち上がったことで、続々と帝国を構成していた王室は崩壊していきます。
  もちろん、それはヴィルヘルム2世に対しても同様でした。日に日に高まる退位を求める声を拒否し続けていたヴィルヘルムでしたが、宰相のマクシミリアン、参謀総長のヒンデンブルクらに説得され、ついにはオランダへの亡命を決意しました。そのときの顔はすべてを諦めたようだったと言われています。
  このドイツ革命によって皇帝が退位したことでドイツ帝国は崩壊、ヴァイマル共和国が成立することとなります。ヴィルヘルムはその後、ナチスが台頭していくドイツの行く末を見守り続け、1941年にその激動の生涯に幕を閉じました。
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  ドイツ統一の象徴として発行されたマルク金貨は、歴史的・美術的価値の高いコインです。ヴィルヘルム1世や2世の肖像が刻まれたものは特に人気があり、コレクター市場でも高値で取引されています。
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