リレハンメル五輪記念金貨について紹介
この金貨は、1994年に開催されたリレハンメル冬季オリンピック大会を記念して発行されたものです。
雪深いノルウェーはスキーが盛んな国であり、そんな国技ともいえるスキーの意匠が記念硬貨にも刻まれています。
そんなリレハンメル五輪の記念硬貨について紹介していきます。
基本情報
| 発行国 | ノルウェー |
| 発行年 | 1991年から1994年 |
| 素材 | K22(純度91.6%) |
| 額面 | 1,500クローネ |
| 重量 | 約17g |
| 図案(表) | ノルウェー国王ハラール5世(Harald V)の肖像 |
| 図案(裏) | ノルウェーの伝統的なスキー文化を象徴するデザイン ・ビルケバイナー:13世紀の戦士が雪中をスキーで駆ける姿 ・ロアール・アムンセン:南極探検家として知られるアムンセンの肖像 ・古代のスキー:岩絵として残るスキーをする人物の図像 |
昨今、開催費用の値上がりなどから大都市でも開催に二の足を踏むオリンピックですが、開催当時のリレハンメルの人口は25,000人程度とほかの都市と比べても圧倒的に小規模でした。
しかし、山間の自然環境を活かしコンパクトな開催としたことで、環境問題や移動距離の問題を完璧に解決。リレハンメル大会は「小さくても成功した」オリンピックとして有名です。
また、リレハンメルはノルウェーを代表するプロスキーヤーたちが生まれた場所でもあります。このスキーのデザインに込められているのは、ノルウェーの歴史そのものと言っても過言ではないでしょう。
ノルウェーとスキーの歴史
一口にウインタースポーツと言ってもさまざまですが、やはり白銀のゲレンデを颯爽と滑り降りるスキーは外せません。
そんなウィンタースポーツの代表ともいえるスキーの歴史に迫りましょう。
古代人のスキー
ノルウェー中部にあるボラ遺跡では、1842年に紀元前4000年~紀元前2000年頃の岩絵群が発見されました。
フィヨルドに暮らした人々の当時の生活環境を知る重要な考古学資料となっており、トナカイや熊などの動物を描写した絵がいくつも発見されています。
そのうちの1つに、足に長い板のようなものをつけ、手には杖を持ち滑っている人間の絵があります。この絵は現代におけるスキーのような姿をしていることから、「ボラのスキーヤー」と呼ばれており、現状確認されている最古のスキーの姿です。
古代人にとってのスキーは、現代とは異なり積雪期の移動手段、特に山野を踏破するときの方法であると推定されています。
特に、獲物を追って山に入る狩人にとっては、獲物に気づかれにくいだけではなく、広範囲を探索を可能にし、獲物の運搬を容易にするスキーの習得は必須のスキルであったと言えるでしょう。
また、古代のスキー板は松や樺などの軽くて丈夫な木に足を固定するというのが一般的だったようです。しかし、すでに先端を曲げ滑走を容易にする工夫や、毛皮を貼り付けて登坂を可能にする工夫がなされていました。
このようなスキー板と思われる板は、ノルウェーだけではなく、ロシアや中国のアルタイ山脈近郊、フィンランドなどでも出土しています。
このことからも、スキーが雪深い地域で非常に古くから実用的な道具として発展してきたことが分かります。
ビルケバイナーの伝説
ノルウェーでは、12月から遅ければ5月ぐらいまで雪が降ります。半年以上も雪が降るとなれば、日常生活だけではなく交易や戦争においても雪上移動ができることが、当然重要になってきます。
そのため、ノルウェーでは11世紀ごろから、雪原を移動するためにスキーを用いた部隊を運用するようになりました。
そのなかでも有名なのが、1130年からはじまるノルウェー内戦で活躍したビルケバイナーです。
ビルケバイナーとは「樺の足巻をつけたもの」という意味であり、ノルウェー中部から北部にかけての農民や狩人を中心とした、質素な人たちを指します。彼らは内戦においては義勇兵としてノルウェー王側に立ち、数々の戦いで華々しい戦果を挙げていました。
そんなビルケバイナーの功績として、現代でも語り草になっているのが1206年の王子救出伝説です。
1204年に当時のノルウェー王であったホーコン3世が暗殺されると、反国王派は生まれたばかりの息子ハーコンソン(のちのホーコン4世)に狙いを定めます。
暗殺の魔の手から彼を救うべくビルケバイナーたちは、現在のリレハンメルからトロンハイムまでの数100kmを猛吹雪の中、スキーで運びました。
このエピソードは、現代でも「ビルケバイネルレネット」としてクロスカントリースキーの1種目となっており、参加者たちは当時のホーコン4世の体重と同じ3.5kgのおもりを背負って参加します。
現代スキーの完成
その後も18世紀の大北方戦争をはじめとする雪国を舞台とした戦争で、スキー部隊は伝令や奇襲といった重要な役割をこなし、軍事的になくてはならない存在になっていきます。
その一方で、雪上移動の記録会なども開催されるようになり、徐々にスポーツとしての性格も見えはじめるようになっていきました。18世紀にかけて競技会としてのルールが整理され、現代にも通じる規則が制定されます。
また、19世紀なかばには「テレマークスキーの父」と呼ばれるソンドレ・ノルハイムがスキー板の大幅な改良を行いました。彼が作ったスキー板は側面が湾曲しており、曲がりやすい設計になっています。また、スキー板の固定具も彼の発明です。
さらに、1890年代にノルウェー移民によって、アメリカにスキーが伝わると競技人口は一気に爆発しました。
1924年に開催された第1回冬季オリンピックであるシャモニー大会でも、クロスカントリー、ノルディック複合、ジャンプの3種目が正式競技として採用されることとなります。その後もアルペンスキーやバイアスロンなどが続々と種目として採用されていきました。
現代において、スキーはウインタースポーツの定番として、多くの人々に親しまれています。
なぜ、ノルウェーでスキーが発展したのか
雪深い国といえば、ノルウェー以外の北欧諸国、スウェーデンやフィンランドも負けてはいません。それ以外にもロシアやカナダ、アメリカ、日本も十分に雪深い国です。
それ以外にも、アルプス山脈を擁するスイスやオーストリア、ヒマラヤ山脈の麓にある中国やネパールも雪の多さは十分でしょう。
雪上移動の手段としてのスキーが、なぜほかの積雪地域では発展せず、ノルウェーだけで発展していったのか、その謎に迫りましょう。
ノルウェーだけが持っていた地域的な理由
ノルウェーでスキーが発展していった理由には、大きく3つの事情があります。
まず1つ目が雪質です。ノルウェーを中心とした北欧の雪は、いわゆるパウダースノーであり、非常に軽くて滑りやすい雪質をしています。
対して北極圏や南極圏の極寒で乾燥している地域の雪は、滑走しにくい氷状の雪です。このためロシアやカナダでは発展しなかったとされています。
2つ目が地域的な特性です。ノルウェーはフィヨルドと山岳地帯が広がる地形であり、平地がほとんどありません。
必然的に山中に住むこととなるため、積雪期となれば徒歩よりスキーでの移動が圧倒的に効率的です。
同じ山岳地帯でも谷に集落を築いた日本やアルプス、ヒマラヤ地方では滑走する必要がないため、スキーの代わりにスノーシューやかんじきが発展していくこととなりました。
そして、3つ目が文化的な理由です。もともとノルウェーは漁労で成り立っていた社会です。点在する村々で狩りや漁を行うため、個々人が技術を身に着ける必要がありました。
加えて、中世以降、ビルケバイナーの伝説や軍事行動での使用が、民族の誇りや伝統につながっていきました。
このような環境がノルウェーでスキーが発展していった理由とされています。
各国のスキー事情
19世紀末にスキーが世界規模のものとなり、オリンピックをはじめ国際大会も数多く行われているスキーですが、一口にスキーと言っても、技で魅了するモーグル、遠くへ跳ぶジャンプ、山地を滑走するアルペンスキーなど数多くの種類があります。
前述の環境の違いは、実は各国のスキー競技にも大きく影響しています。
たとえば、ノルウェーを中心とした北欧では、歴史的にも雪山を走り回るクロスカントリー、ライフル射撃を組み合わせたバイアスロンで国際大会でも驚異的な成績を収め続けています。
一方で急峻な山々が広がるアルプス一帯では、その雄大な自然を活かし、ゲレンデを滑り降りるアルペンスキーが盛んに行われています。
また、アメリカ・カナダでスキーと言うとアクロバティックに技を決めるフリースタイルが人気です。若いスキーヤーが中心となり見ごたえのあるトリックを決める瞬間が数多くSNSにもアップされているほか、フリースタイルの世界市場の4割が北米が占めているとも言われています。
そして、日本は飛距離を競うジャンプスキーが盛んです。札幌オリンピックから連綿と続く日の丸飛行隊の血脈は現代にも受け継がれており、小林陵侑選手、髙梨沙羅選手を筆頭に世界で若い選手たちが台頭しています。
リレハンメル五輪の記念金貨の買取は金貨買取本舗へ
1994年に開催されたリレハンメル冬季オリンピックを記念して発行された金貨は、北欧らしい洗練されたデザインと高い金品位で知られています。
雪と氷の祭典を象徴する美しいモチーフは、世界中のコレクターからも注目の的です。
金貨買取本舗では、リレハンメル五輪金貨の市場価値を正確に査定し、高価買取を実現。ご自宅で眠る記念金貨も、専門店ならではの知識でしっかり評価いたします。