偉大なる探検家バルボアを記念したバルボア金貨について紹介
大航海時代、それは世界が一体となっていった時代です。
その筆頭となったポルトガルとスペインからは、それぞれエンリケ航海王子やヴァスコ・ダ・ガマ、コロンブスやコルテスといった探検家たちが続々と新しい島や大陸を「新発見」し、世界は大きく広がっていきました。
しかし、彼らは同時に征服者でもあります。そのため、近年では厳しい評価を向けられることも少なくありません。
そのなかにおいて1人、現地民に愛された異質な征服者がいます。この金貨は、そんな誠実な探検家であったバルボアを記念するものです。
基本情報
| 発行国 | パナマ共和国 |
| 発行年 | 1975年 |
| 素材 | 金(Au)、品位 0.900(90%黄金) |
| 額面 | 100 バルボア、500 バルボアなどもシリーズ内に存在 |
| 重量・直径 | 8.16 g(約0.2361トロイオンス)、約26mm |
| 図案(表) | バスコ・ヌニェス・デ・バルボアの横顔または肖像 |
| 図案(裏) | パナマ共和国の国章(または国章+額面+品位)等が刻印 |
この金貨は、スペイン生まれの探検家バスコ・ヌニェス・デ・バルボアの生誕500周年を記念して発行されたシリーズです。
バルボアはパナマの国家のはじまりとも言える人物であり、通貨の名前にまでなっています。
このシリーズは、外箱・証明書付きで販売されたものも多く、コレクター仕様としてプルーフ仕上げ、または未流通仕様のものは、さらに高額になる傾向にあります。
探検家バルボア
大航海時代の探検家というと、誰を思い浮かべるでしょうか。
コロンブスやマゼラン、アメリゴ・ヴェスプッチにバルトロメウ・ディアス、やや時代は下りますがイギリスのフランシス・ドレークを挙げる人もいるでしょう。
多少、世界史に詳しい人であれば、ほかにもピサロやコルテスなども思いつくはずです。
そんな数々のビックネームが並ぶなか、後の時代にも大きな影響を与え、ラテンアメリカ史上でも最も重要な探検家の1人に数えられるのが、バスコ・ヌニェス・デ・バルボアです。
新大陸への憧れ
バルボアは1475年頃、スペインのエストレマドゥーラ地方のハラ・デ・ロス・カバリェロスで誕生しました。
絶対王政真っ只中の社会で、下級貴族の家の生まれであったバルボアは、財産もないため贅沢のできない暮らしをしていたと言います。
そんな彼を変えたのが、1492年のコロンブスの新大陸発見のニュースでした。
このニュースを聞いたバルボアも、自分も一旗揚げようと新大陸への航海に出ることを考えるようになります。
そして、1500年にはスペインの探検家ロドリゴ・デ・バスティーダスに従って、カリブ海沿岸を探検。一時の話題にはなりますが、見合った成果は得られず、むしろ借金を背負うことになりました。
その後、1509年に密航する形でウラバ湾にある新植民地に向かいます。
そこでは、現地民との激しい摩擦が起きていましたが、バルボアはこれを見事に調停、その功績をもって、翌年にパナマ地峡地帯にサンタ・マリア・ラ・アンティグア・デル・ダリエンを建設、その植民地総督に任命されました。
その後、1513年には当時「南の海」と呼ばれていた太平洋をヨーロッパ人として初めて目にします。
この発見は、欧州諸国の世界進出を拡大させ、大航海時代を「グローバル時代」へ進化させる起爆剤となりました。
探検家を襲った悲劇
同時期の欧州諸国の植民地に対する対応は、まさに苛烈というほかありません。
ただ、これは現代になってからの評価であり、当時としてはコロンブスやコルテスのように先住民を武力支配することが普通でした。
それが当たり前であった時代のなか、バルボアの経歴には虐殺や略奪を行った形跡がほとんど見られません。
それどころか、紳士的な交渉や贈り物によって現地民からの信頼を得ていたことが記録に残されています。
バルボアは、ほかの探検家と比較しても知的で誠実という評価も多く、また現地民からの人気もあるという、かなり異質な存在であったと言えるでしょう。
しかし、その温厚さが仇となってしまいます。1519年、新たな探検の準備をしていたバルボアは政敵に「独立を画策している」と無実の罪を着せられ、碌な裁判も行われないまま斬首刑となってしまいます。
この一連の出来事に対しては、当時でも王室の司書官は「無実である」と公式に記録を残しているほか、後世でも「もし彼が長く生きていれば、征服はより平和的なものになっただろう」と語られるほどでした。
彼の処刑は、後年のアルマダ海戦の敗北と同様に、太陽の沈まぬ国へ暗い影を落とすこととなる出来事であったと言っても過言ではないでしょう。
パナマとバルボアの関係
現在、バルボアの名前は、パナマ各地で見ることができます。
国の通貨単位にその名を冠されているほか、首都にはバルボア通り、バルボア劇場など彼の名前がついた施設や場所が数多く存在します。
なぜ、ここまでスペイン人であるはずのバルボアが現地に受け入れられているのか、その理由をパナマの歴史を振り返りながら探っていきましょう。
パナマの始まりを告げた人物
バルボアが発見・探検をしたのは現在の「パナマ」という場所そのものと言ってもよいでしょう。
パナマ地峡を中心とした一帯を現地民の協力を得て探検を繰り返し、その場所の地形や植物などを詳細に記録していました。
特に、彼が1513年に太平洋へ到達した偉業は、単なる地理的発見ではなく、「世界を二分する地をつなぐ」という壮大な意義を持っています。
大西洋と太平洋を結ぶパナマ地峡は、のちに世界貿易の中心となるパナマ運河建設へとつながり、人類史に新たな航路を開きました。
パナマの人々にとって、バルボアは征服者ではなく、世界と世界を結びつけた「架け橋」です。
現地民と紳士的に交渉し、協力して探検した彼が示した勇気と探究心は、後世のパナマ人にとって「祖国の源流」を体現するものとして、今も深く尊敬され続けています。
パナマ独立の象徴として
パナマは2つの大海をつなぐという地理的重要性から、常に他国の支配や干渉の影響を受けてきた国です。
スペインの植民地時代を経てコロンビアの一部となり、さらに20世紀初頭にはアメリカに運河地帯が管理されるなど、独立国家としての主体性を確立するのは決して容易なことではありませんでした。
そのなかで、バルボアという人物は、支配や征服の象徴ではなく、「自らの意志でパナマの地に足跡を刻んだ最初の人」として特別な意味を持つようになります。
彼はスペイン人でありながら、国の権力に従属せず、自らの探究心と信念に基づいてパナマの地を拓きました。
これほどまでに「パナマ独自の出発点」を体現した存在は、ほかに存在しないでしょう。
19世紀末に、パナマがコロンビアからの独立を模索し始めると、知識人や新聞はこぞって「われわれの歴史はバルボアから始まる」と訴えました。
それは、外から押しつけられた歴史ではなく、パナマ自身の手で始まった物語の再確認でもありました。
彼の生涯は、国の独立と自己決定の精神を映す鏡として、今もパナマ人の心に生き続けています。
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パナマの誇りと歴史を刻んだバルボア金貨は、資産価値と美術的価値を兼ね備えた逸品であり、コレクター市場でも高値で取引されています。
なかでも、彼の肖像画が描かれたコインは、その偉大な功績を称えた歴史的な意味合いも持つ重要な金貨です。
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