チュニジアのフラン金貨について解説
地中海に面する北アフリカのチュニジア。古くはかのローマ帝国と地中海の覇権を賭けて争い続けたカルタゴから続く歴史ある国です。
しかし、そんな歴史ある国も、かつてはヨーロッパに支配されていました。このチュニジアのフラン金貨は、かつてチュニジアがフランスの支配下にあったことを示す貴重な歴史遺産です。
基本情報
発行国 | チュニジア(正確にはフランス保護領チュニジア) |
発行年 | 代表的なのは1891年、1893年、1904年、1905年 |
素材 | 金90% |
額面 | 20フラン(発行時点でのフランス本国と同価値) |
重量 | 約6.45 g 約21 mm |
図案(表) | 外周にアラベスク風の植物文様 上部にイスラム的シンボルである星 |
図案(裏) | 下部にはアラビア文字 →当時の国王であるムハンマド・アル=ハーディー・ベイの名前が記載 |
この金貨は、1881年からはじまったフランスの施政権下において発行された歴史的な貨幣です。
フランス本国のフラン金貨と同規格のものは、限られた回数しか発行されていないため、現存する枚数自体が少なく希少価値が高くなっています。
そのような希少価値もさることながら、フランス文化とチュニジア文化が混ざりあった独特のデザインはほかではお目にかかることのない逸品といえるでしょう。
チュニジアを知ろう
世界史を学ばれた方であれば、ローマ帝国のくだりでポエニ戦争やハンニバルなどチュニジアの歴史の一端に触れた方もいらっしゃるでしょう。
しかし、これは勝者であるローマ帝国から見た歴史であり、本当のチュニジアの姿とはいえません。まずは、チュニジアのことを知っていきましょう。
チュニジアってどんな国?
チュニジアは正式名称をチュニジア共和国といい、西にアルジェリア、東南にリビア、北と東は地中海に面するアフリカの国です。
地中海に面することから北部は南欧と同じような気候ですが、南部はサハラ砂漠の荒涼とした風景が広がっており、同じ国にも関わらず、まったく異なった面を見ることができます。
国民の多数がイスラム教徒ですが、ヨーロッパとの歴史的・地理的な近さから中東と西洋のパイプ役として国際社会でも注目の国です。
正式名称 | チュニジア共和国 |
独立 | 1956年 |
首都 | チュニス(Tunis) |
国土面積 | 約16万平方㎞(日本の約半分) |
人口 | およそ1,200万人(2025年時点推計) |
民族 | アラブ系・ベルベル系が中心 |
宗教 | イスラム教(スンナ派)が圧倒的多数(約97~98%) →独立以降は比較的世俗主義的であり政教分離が進んでいる 残りはキリスト教徒(主にカトリック)、ユダヤ教徒など |
主な産業 | 農業 ・特にオリーブは世界でも有数の生産国・輸出国 ・ほかにはデーツ(ナツメヤシ)、小麦、大麦、柑橘類など 観光業 ・地中海を臨むリゾート地が首都チュニス近郊で発展 ・カルタゴ時代の遺跡は世界文化遺産にも登録 |
日本との関わり
日本とチュニジアは物理的には遠い国ですが、心は決して遠いとはいえません。
1956年にチュニジアが独立したときは、日本はすぐにチュニジアを承認しています。冷戦下の世界において、この出来事は日本の国際社会への復帰としての意味もありました。
それからすぐの1959年に外交関係を樹立すると、日本政府は積極的な援助を行い、インフラ整備や人材育成を支援してきました。
また、貿易では、日本からチュニジアへは、自動車、機械、電子部品、鉄鋼などの二次産業の製品が輸出されており、反対にチュニジアからはオリーブオイル、デーツ(ナツメヤシ)などの農業製品が積極的に輸出されています。
それ以外には、歴史的な遺跡や雄大な自然も見どころです。チュニス近郊のカルタゴ遺跡や南部に広がる荒涼としたサハラ砂漠は、日本人旅行者にも人気のスポットです。
ただし、外務省が発表している渡航安全情報では、2015年の非常事態宣言を受け、全土を要警戒とし、特に国境付近の渡航危険度は2025年8月現在レベル3に設定されています。
植民地における通貨の不思議
前述のとおり、この金貨はフランス施政権下で発行されたものです。デザインは異なりますが、金の重さや純度は同時期に発行されたフランス本国のナポレオン金貨と同じものとなっています。
このような本国と同規格の通貨を発行することは、植民地・保護領で発行される貨幣によく見られる仕組みです。なぜ同規格の貨幣を発行するのか。その理由を探っていきましょう。
植民地経営と通貨統合の重要性
そもそも植民地とは、本国からの移住者によって経済的に開発された土地のことです。
植民地側がどれだけ支配されているかによって、程度の差はありますが、本国へ資源や労働力などを提供することになるため、そこには金銭の受け渡しが介在します。
そうなると異なる規格の通貨では、両替の手間が発生し円滑な経済活動が難しくなります。加えて、当時の金貨は国際貿易決済や貯蓄に用いられることがほとんどでした。規格の違う貨幣が流通していたのでは、国際的な信用も下がり取引が円滑に進みません。
そこで19世紀、植民地経営に乗り出した欧州各国は本国と同じ通貨を植民地でも発行しました。この通貨はデザインだけは現地風のデザインであることが一般的です。
また、イギリスのように現地に造幣局を作り、そこで本国とまったく同じ通貨を発行した国も少なくありません。
記念品となった金貨
植民地化したチュニジアで実際の取引に使用されるのは、専ら小額の銀貨や銅貨でした。
高額な金貨は日常使いされず、資産家が貯蔵するか、国外に送金されてしまうため、発行コストに対するリターンが見合わず、経済運用上も「実用性が低い」と判断されました。
また、世界大戦の前後で日米欧という当時の先進国が、金を主役にした経済体制、いわゆる金本位制度から脱却していった結果、金貨の発行は短期間で終わってしまいました。
まさに、この金貨は渦巻く怒涛の時代を経験した記念すべき貨幣と言えるでしょう。
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チュニジアのフラン金貨は、フランス本国のナポレオン金貨と同規格で鋳造された歴史的なコインです。発行期間も短く、市場では希少性の高い金貨として注目されています。
コレクター人気も根強く、保存状態や発行年によって価値が大きく変動するのも特徴です。
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