5000万リラ金貨について紹介
お金というのは、実に便利な発明です。モノとモノを交換する媒介であり、モノの価値をはかる尺度にもなるお金は人類の経済と社会の発展に欠かせない存在です。
しかし、同時に、自分たちが発明したはずのお金に人類が振り回されているのも事実です。
たとえば、景気の変動による社会混乱は有史以来、数えきれないほど起きています。また、社会という大きな枠でなくても、お金が原因で失敗してきた著名人は枚挙に暇がありません。
今回は、そんな経済の失敗の象徴ともいえるトルコの5000万リラ金貨について紹介していきましょう。
基本情報
| 発行国 | トルコ |
| 発行年 | 2000年(フクロウ)/2001年(ワシ) |
| 素材 | 18金(刻印 750、= 75%) |
| 額面 | 50.000.000リラ |
| 重量 | 総重量 約7.78 g(純金量は約5.84 g) |
| 図案(表) | 種名表記(例:ASIO OTUS)やフクロウ/ワシの肖像。 →一部の発行品は目にダイヤモンドをはめ込んだ仕様あり |
| 図案(裏) | 額面である「50.000.000 LIRA」、発行年、周囲に政府発行の等刻印 |
トルコが発行した5000万リラ金貨は、その地金としての価値よりも、プルーフ仕上げやダイヤモンド装飾といった豪華な仕様に注目が行くことがほとんどです。
そこに、発行枚数が限定的なことによるプレミア価格が加わり、市場では高値で取引されています。未使用状態であったり、付属の認定書や専用のケースが付属していれば、より高額買取も見込めるでしょう。
5000万リラの真実
単純な額面だけを見れば、5000万リラというのは非常に高額に思えるでしょう。しかし、この金貨の買取価格は、買取価格は10万円前後とそれほど高額とは言えません。
なぜ、このような高額額面の金貨が安値で取引されているのでしょうか。
実は、その裏には発行当時のトルコが直面した深刻な経済危機がありました。まずは、この高額金貨の背景について探っていきましょう。
トルコが直面したインフレ
この金貨が発行された2000年代前半、トルコは1980年代から続く慢性的な高インフレに悩まされていました。その割合は年60%前後が普通であり、年によっては100%を越えることも珍しくないほどでした。
前の年は100円で買えていたものが、翌年は倍の額になるといえば、その凄まじさも分かるかと思います。
この時期のトルコは、大幅な輸入超過による慢性的な財政赤字に、不安定な政権運営が続いていました。そこに追い打ちをかけるかのようにオイルショックが続いた結果、トルコの経済は大混乱に陥ります。
結果的にトルコリラの価値は暴落してしまい、政府はゼロを増やした紙幣を急遽、増刷して国内経済の安定を図りました。特に、1990年代末には50万リラ、100万リラ、2千万リラなどの「額面だけ」は高額な紙幣が次々と登場します。
また、記念硬貨もリラ建てで非常に大きな額面を刻むようになり、今回紹介する「5千万リラ金貨」という極端な数字の金貨が発行されるようになりました。
額面は高額だけれども価値は低い
さて、この5000万リラ金貨ですが、発行当時の金額で約42米ドル、日本円で5000円程度しかありません。
取引価格が高くならない理由、それは単純に「リラの価値が低すぎて少量の金でも高額額面にしないといけない」という、トルコの経済事情に他なりません。
ダイヤモンドの細工やプルーフ仕上げも、少しでも金貨としての価値を上げようとするトルコ政府の涙ぐましい努力の結果と言えるでしょう。
現在では、通貨の桁数を切り下げるデノミ政策が2005年に行われたことにより、この5000万トルコリラは現行の50トルコリラと等価で取引されています。額面だけは非常に高価ですが、日本円にすると150円程度です。
驚きの世界の高額通貨
通貨価値が下がり、物価が上がる現象を経済用語でインフレーションと言います。
急激なインフレは人々の生活の負担になりますが、物価の上昇は経済の成長と言い換えることもできるため、ある程度のインフレは経済の発展には欠かせません。日本をはじめとした先進国は、年間2%前後のインフレを目指して、財政出動や銀行の利率調整を行っています。
しかし、世界にはインフレが進みすぎた結果、もはや法定通貨なのか疑ってしまうほどの「額面だけは」数字の大きい通貨も数多く存在していました。
ここからは、そんなインフレ時代に高額紙幣を発行した国を紹介していきます。
失敗した政治の結果 ~ジンバブエ・ドル~
インフレで高額紙幣発行と聞いて、知っている人も多いのではないでしょうか。
ジンバブエでは、2000年ごろから現地の白人所有の土地を強制徴収して、黒人に分け与えるという政策を実施した結果、農業や工業などのノウハウや生産機械を持っていた白人が一斉に国外へ流出してしまいました。
その結果、深刻な食糧不足から急速なインフレーションを招いてしまうこととなります。そのインフレ率は、当局発表で2008年に220万%に達したと言われていますが、1兆%以上の数値を推定する研究者もいます。
ただ、いずれにせよ、通貨の購買力はほぼゼロと言ってよいほどまで値下がりしたことは事実です。
このときに発行された最高額面である100兆ジンバブエ・ドルは、10ドルほどの価値しかありません。
ギネスに載った最高額紙幣 ~ハンガリー・ペンゲー~
歴史に残るほどのインフレを記録したのが、第二次世界大戦後のハンガリーです。
第二次世界大戦の激戦地の1つとなったハンガリーでは、鉄道や工場といったインフラがほぼ破壊しつくされていた上に、ソ連に対する巨額の戦後賠償への対応に迫られていました。
税収を見込めるものが何1つとして存在しないなか、政府は目先の資金を確保すべく、紙幣の大量発行に踏み切りました。
この政権運営が安定せず、国民の通貨に対する不信感が蔓延していた状況下での大量発行によって、ペンゲーは制御不能なほどのインフレに陥ってしまいます。
そのインフレ率は、1946年7月の月間で4.19×10の16乗%、年間では96×10の24乗%という、もはや「暴落」という言葉ですら生ぬるいほど通貨価値が下落してしまいました。
規模が大きすぎて想像できませんが、当時のハンガリーではお昼に買えたパンが夕方には2~3倍の値段で売られているという、フィクションのようなことが現実に起きていました。
このときには、1垓ペンゲー(1垓は1京の1万倍)という天文学的な額面の紙幣が発行されました。この通貨は、発行された史上最高額面の紙幣として、ギネスにも記録されています。
また、流通はしなかったものの10垓ペンゲーという紙幣が印刷された記録も残っています。
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トルコの5000万リラ金貨は、激しいインフレ期に登場した歴史的背景をもつ貴重な一枚です。
額面の大きさは当時のトルコの経済状況を物語り、希少価値の高さとともにコレクターの注目を集めています。
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