バハマ独立記念金貨について紹介
第二次世界大戦が終わった20世紀後半、数々の国が独立を果たしていきます。アフリカやラテンアメリカ、東南アジアなど、かつて列強の植民地であった場所に独立国が生まれ、世界は新たな局面を迎えました。
バハマもまた、この時期に独立を果たした国の1つです。今回は、そんなバハマの独立を記念する金貨を紹介します。
基本情報
| 発行国 | バハマ |
| 発行年 | 1973年 |
| 素材 | 0.917(金91.7%、22金) |
| 額面 | 100バハマドル |
| 重量 | 約33.44g |
| 図案(表) | ・エリザベス2世の肖像 →当時の英連邦諸国共通デザインで、若き日の女王陛下が右向きに描かれている |
| 図案(裏) | ・バハマの国章(国徽) 「海亀と帆船」
中央の盾には「太陽から昇る国」=「新たな独立国家の誕生」を象徴
国章のリボンには国のモットー「FORWARD, UPWARD, ONWARD TOGETHER」 |
独立記念の金貨は数多く存在しますが、バハマの独立記念金貨はカリブ諸国における独立記念金貨のなかでも人気の高い1枚です。硬貨に刻まれた国章のデザインの完成度は、ほかでは早々見かけられないレベルです。
また、重量が約1オンス弱の金貨であるため、地金価値だけでも十分な水準と言えるでしょう。
2023年には独立50周年を迎えたことで、歴史的・記念的意義を重視するコレクター市場で取引が活発化し、再び注目を集めています。
カリブ海のリゾート地
1973年にイギリスから独立したバハマは、カリブ海地域の歴史・経済・文化を語るうえで欠かせない国と言えるでしょう。現地民、移住してきたイギリス人やアメリカ人、対立したスペインとフランス、そして、黒人が混然一体となったのがバハマという国です。
まずは、バハマがどういう国なのか知っていきましょう。
バハマの基本情報
| 首都 | ナッソー |
| 公用語 | 英語 |
| 通貨 | バハマドル |
| 人口 | 約40万人 |
| 宗教 | キリスト教(主にプロテスタント系が多数) |
| 気候 | 熱帯性気候で、一年を通して温暖。観光の最盛期は11月~4月 |
| 産業 | ・観光業→バハマ経済の柱であり、GDPの約7割を占める
・金融業→1960年代以降、タックスヘイブン(租税回避地)として国際金融業が急成長
・漁業→ロブスター(バハマロブスター)やコンク貝の輸出が盛ん
・農業→サトウキビ、シトラス、バナナなどを生産 |
バハマはカリブ海は西インド諸島の北東端に位置し、約700の島々と2,000を超える小島・岩礁から成る群島国家です。
どこまでも広がるエメラルドグリーンの海、珊瑚礁、白い砂浜が特徴で、世界有数のリゾート地となっており、特にアメリカに近いことから、アメリカからの観光客が絶えません。
また、課税が免除される地域(タックス・ヘイブン)でもあることから、金融業も盛んであり、カリブ地域のなかでは安定した経済、政治運営が行われています。
バハマの歴史
大航海時代を迎えたばかりの1492年、コロンブスが上陸したことからバハマの歴史がはじまります。
コロンブスは最初に到達した島をスペイン語で「聖なる救世主」という意味のサン・サルバドル島と名づけました。
新大陸発見の場所となったバハマは、スペインが領有権を主張しますが、土地が肥沃でもなく金が出るわけでもない島は放置され、先住民は奴隷として連れ去られた結果、周辺の島々は無人島となってしまいます。
その無人島を拠点として利用したのが、海賊です。
バハマ近海はヨーロッパと新大陸を結ぶ航路上の要所であり、また、イギリスがスペインに対抗して海賊たちに私掠船免状を発行、つまりは公式に海賊行為を認めたことから、「黒ひげ」ティーチを筆頭とした今日でも有名な海賊が多数登場することとなります。
一方で、島内ではイギリス人の入植が進んでいました。
しかし、旧大陸の緊張が高まるたびに、スペインとイギリスが占領を繰り返し、英西戦争後の1783年にようやくイギリス領有で決着することとなります。
その後は、アメリカから逃れた王党派や彼らの連れてきた奴隷などにより、プランテーションが展開。1834年の奴隷制廃止後は、アフリカ系住民が社会の主流となっていきます。
2度の大戦後には自治を求める声が一層高まり、1964年には自治政府を樹立、1973年には独立を果たします。
勘違いからはじまった名前
カリブ一帯の島嶼群は西インド諸島と呼ばれています。
狭義には大部分をバハマが占めるバハマ諸島、キューバを中心とする大アンティル諸島、そして、ドミニカが属する小アンティル諸島に分類することができます。
しかし、なぜ、カリブ海の島々が西「インド」諸島と呼ばれているのか。
実は、そこには当時のヨーロッパ人たちの盛大な勘違いの物語がありました。
小さくなった地球
安全な航海や旅行のためには、正確な地図が欠かせません。文明が発展するにつれ、測量技術も発達、街道整備や農地開墾にも用いられるようになっていきます。
そのなかで、地球の大きさを測定する試みは、古代ギリシャの時代から行われていました。かのピタゴラスやアリストテレスなども挑戦していた記録が残っています。
その集大成とも言えるのが、エラトステネスの実測です。
紀元前3世紀ごろ、エジプト・アレクサンドリアの図書館で館長を務めていたエラトスネテスは、影の角度と各都市の距離から地球の大きさを、およそ4万kmと算出しました。
現代のGPS計測よる大きさが4万75kmであることを考えると、驚異的な精度と言えるでしょう。
しかし、その後、ポセイドニオスやプトレマイオスが基準距離を取り間違えたり、マルコ・ポーロの不正確な記述が広まった結果、ルネサンス期のヨーロッパでは地球の大きさは約3万kmというのが定説となっていました。
事実、15世紀の地理学者トスカネリが作成した地図では、ヨーロッパと東アジアの距離は概算で約5,000kmとなっており、実際の4分の1程度の距離しかありませんでした。
このトスカネリの地図をもとに航海計画を立てたコロンブスもまた「1か月あれば十分に到達できる」と、かなり甘い見通しで出発しています。
そのため、サンサルバドルに到着する直前の船内は、いつ反乱が起きてもおかしくない極限状態だったと言います。
その後の西インド諸島とアメリカ大陸の発見
当時のヨーロッパにとって、「インド」はガンジス川から東側一帯、現在の中国や日本も含む未知の領域を指すものでした。
西回りで未知の領域に至ったコロンブスは、周辺一帯を西インド諸島と名付けます。そして、そこに住む人たちをインディアンと呼びました。
この命名は、1493年のローマ教皇アレクサンデル6世の教皇勅許や翌年のトルデシャリス条約によって、ヨーロッパ各国に認められ、西インド諸島はアジアの一部であるということが公式にも広まっていました。
しかし、1499年から1502年にかけてカリブ海、そして大陸を探検したアメリゴ・ヴェスプッチは植生の違いから、アジアの一部であるという説に違和感を持ちます。
特に、海岸線がアジア最南端とされていたマレー半島(北緯1度)を超え、南緯50度まで到達する長さになっていたことから、当時発見されていた既知の大陸に属さない「新世界」であることに気が付きました。
このアメリゴの観測記録をもとに、1507年にドイツの地図製作者ヴァルトゼミュラーが『世界誌入門』を出版します。
そこで新大陸はアメリゴに由来する「アメリカ」と名付けられることとなりました。
2人の功績に対して、コロンブスが存命中に、裁判などの直接的な批判はしなかったと言われています。しかし、関係者にあてた書簡のなかでは「真の発見者は私である」と幾度となく悲しげな文字で書き綴っていたそうです。
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バハマ独立金貨は、1973年の独立を記念して発行された希少な金貨で、歴史的価値と美しいデザインを兼ね備えています。
コロンブスが新大陸に到達した地として知られるバハマの歴史や文化を感じられる逸品であり、コレクションとしても魅力的です。
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