ペニー・ブラック金貨について解説
情報は時に千金を凌ぐ価値を持ちます。特に、軍隊では情報は生命線です。情報がなかったばかりに全滅してしまった例など枚挙に暇がありません。だからこそ、国は命がけで情報通信網の整備を行ってきました。
その情報通信の最たる制度といえば、やはり郵便でしょう。今回は、郵便制度発祥の地、イギリスから世界最古の切手を模した金貨を紹介します。
基本情報
| 発行国 | マン島(イギリス王室属領) |
| 発行年 | 1990年 |
| 素材 | 99.99%(K24) |
| 額面 | 1クラウン |
| 重量 | 31.10 g |
| 図案(表) | エリザベス2世の肖像 |
| 図案(裏) | ペニー・ブラック切手のデザイン →若きヴィクトリア女王の横顔が切手と同じように表現 |
ペニー・ブラックは、1840年にイギリスにおいて発行された世界初の切手の通称です。額面が1ペニーであり、かつ刷色が黒色であったことから、この名前で呼ばれています。この金貨は、そのペニー・ブラック発行の歴史的価値を称えた記念金貨です。
図案には、発行当時と同じくヴィクトリア女王の肖像画が描かれており、貨幣収集家のみならず切手愛好家からも人気を集める金貨です。また、2020年には30周年を記念した同モチーフの新シリーズもはじまっています。
ペニー・ブラックと郵便制度
ペニー・ブラックの登場は、それまでの郵便に関する問題を一挙に解決する、神の一手となりました。そして、そこには1人の男の逆転の発想がありました。まずは、ペニー・ブラックの誕生秘話を語っていきましょう。
不公平で不平等だった郵便制度
郵便の原型は、12世紀ごろにはヨーロッパ各地の修道院や研究機関がやりとりするための方法として成立していました。しかし、遠方に行く商人や修道士に託すかたちであったため、郵便物の紛失は日常茶飯事だったと言います。
イギリスで郵便が国家的な制度として確立するのは1516年の話です。時のヘンリー8世が自身の書簡を遠方に届けるためのインフラとして整備し、各町に配達用の馬を3頭常備させ、王からのお触れなどを常に受け取れるようにしました。ちなみに、この馬をつないでいた場所は、のちに「Post」と呼ばれるようになります。
その後、1635年にチャールズ1世が一般人も郵便を利用できるように法整備したのに合わせ、1660年には郵政省が設立、1670年までにロンドンから伸びる6本の国立の郵便配達用道路が建設されました。
しかし、このときの郵便制度は国家による独占事業である上に、あまりにも不平等で不公平な制度でした。距離と枚数に応じて加算される複雑で高額な料金体系に加え、料金は『受取人払い』が原則でした。このため、貧しい人々は手紙を受け取ることさえできず、郵便は事実上、富裕層や商人の特権となっていたのです。
その状態であれば、当然、庶民の間では脱法行為が横行するのは自然のなりゆきです。有名なものでは、巨大な1枚の紙を使用した人、手紙に符丁をつけて中身を読まずに理解できるようにした人など、さまざまな抜け道が探されました。このため郵便制度は、国家インフラでありながら、完全に機能不全を起こしていました。
ペニー・ブラックの登場
この破綻した郵便制度の改革に乗り出したのが、のちに「近代郵便制度の父」と呼ばれるローランド・ヒルです。ヒルは当時の郵便制度が抱えていた「受取人支払いでは見れる人見れない人を生んでしまう」という不平等な問題を解決する方法を編み出します。
それが、前払い制です。手紙が相互コミュニケーションである現代では当たり前の感覚かもしれませんが、手紙が届くことが保証されていなかった当時の感覚では、まさにコペルニクス的転回でした。
そして、前払い済みの証明が必要になった結果、生まれたのが切手(Postage Stamp)です。こうして1840年、世界初の切手として、ペニー・ブラックは誕生しました。
また、ヒルは郵便料金の基準を、従来の『距離と枚数』から『重量』へと変更し、国内どこへ送っても均一料金とする制度(均一ペニー郵便制度)を導入しました。これにより、安価でわかりやすい料金体系が実現し、あらゆる階級の人々が手紙を利用できるようになったのです。この改革は結果として国民の識字率向上にも寄与し、イギリス社会の発展を後押しすることとなりました。
郵便制度から見える国家観
郵便制度、つまりは通信網の発展は国家にとって重要なポイントです。より速く、正確に情報がやり取りできれば、政治、軍事、経済、あらゆる分野で優位に立てます。だからこそ、国は通信網を整備してきました。
しかし、郵便を支配の道具から、社会の言語へ変えたペニー・ブラックは、イギリスだからこその代物と言えるでしょう。ここからは、イギリスだけが持ちえた要素から、近代郵便の発展を考えていきます。
通信制度は誰のものか?
世界でもいち早く、国内の通信網の整備に取り掛かったのは中国でした。すでに始皇帝の統一が完了するころには、国内を縦横に貫く緻密な通信網が整備されており、各地と中央の情報伝達が可能になっていました。一説には、この通信網の整備こそが秦の電撃的な六国攻略につながったとされています。
一方で、地方領主に統治を任せていたヨーロッパでは通信の必要性がありませんでした。しかし、統一国家が生まれ、地方と中央の情報交換が必要になると、各国は15世紀ごろには一気に国内の通信網を完成させていきます。
この当時の通信網ですが、制度的完成度だけで見るならば、フランスやスペインの方が圧倒的に上でした。特に各地の植民地と本国を結ぶ海洋ルートを構築したスペインの通信網は、当時類を見ないものでした。
しかし、これらの国とイギリスが決定的に違うのは、イギリスだけが「通信を庶民のもの」とした点が挙げられます。
ヒルが観ていたのは、単なる制度の是正ではありません。誰しもが気軽に手紙を交わすことができる社会になれば、情報格差もなくなり社会は健全な方へと進んでいきます。特に産業革命で社会が分断されていたイギリスにとって、この格差の是正は急務でした。
もちろん、通信が自由化することにはリスクもあります。ヒルはそれを飲み込んででも格差を是正することがイギリス社会にとってプラスになると確信していたからこそ、切手という発想に至ったのかもしれません。
日本だけが遂げた独自の通信網の発展
このような各国の通信網の発展のなかで、例外中の例外として名前が挙がるのが日本です。
日本はすでに律令国家として歩みはじめた時代には街道の整備が行われた国です。また、通信制度も鎌倉時代には原型が生まれ、江戸時代に飛脚制度として通信が完成します。
この飛脚制度も当初は幕府と宮中のやり取りであり、言ってしまえば統治機構としての制度でした。しかし、あまりにも便利すぎたことから武士階級だけではなく、町飛脚という町人までもが利用する飛脚も生まれ、完全な社会インフラへと変貌をとげました。
この理由の一端は、教化された日本の高い識字率にあります。
数ある先進国のなかでも、日本だけは文字を読むことが生活習慣として近代化前に上から下まで完全に定着していた国です。言い換えれば「文字が読めないと生活できない」国と言ってよいでしょう。そのため、庶民が通信する、つまりは情報をやり取りすることも自然の流れでした。
イギリスが通信制度を「庶民のもの」と回答したように、日本も同様に「庶民のもの」と回答した国です。ただ、日本の場合は、自然発生的とはいえ、あまりにも民主化された制度としての導入でした。結果的に近代郵便制度も「最初から庶民化された制度」として、明治時代に前島密によって非常にスムーズに取り入れられることとなります。
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